議論は方向性がプラグマティックか否かを意識して行う
プラグマティックpragmatic 実用的。実際的。実利的。
nora.icon複数人で何かのテーマについて考えるとき、自由に考えられる場であることは前提として、方向性としてプラグマティックなのかそうでないのかが意識されずに混在することはどこかで議論を停滞させるように思う。
nora.iconそれは自由というよりカオスであって、バラバラすぎるベクトルが互いに絡んでどこにも行けなくなる。プラグマティックな層と哲学的な層を行き来することには大きな意味があるけどそれは意識的に行ったほうが良い気がする。
先に進みたいのか、土台を掘り出したいのか、俯瞰したいのか、色々と「考える」ということには方向性がある
区別されずに混在するとどこにも進まない
nora.iconみんなが空気を読まなければカオスになるけど、みんなが空気を読むと予定調和的になり新たなものが生まれない。誰が何をどう語ってもいいけど整理して層を整えることが必要になる。でも場を分けようとすると自分がどの層にいるかなんて自分では大抵わからないからどこでも語れなくなる危険性がある。
nora.icon整理に特化したメンバーが整理のターンを挟んでいくのが結局は前に進む有効な手立てなのだろうけど、整理が「いつでも自由に前の話題に戻れる」「複数の層を同時進行させられる」ということを妨げては効率が悪いので、議論そのものに影響を与えない「実況・解説」のポジションが良いのかも。
nora.icon発動してカットインしてくるんじゃなく端に常時表示されるミニマップみたいな。
司会ではなく、という意味で「実況・解説」と表現したが、これは要するに「書記」だよね…。
まあでも「記録を作る」というよりは「今どうなっているかを表示する」という意味合いを強調したいので「実況・解説」の方がイメージには沿っている。