心理的安全性
psycological safety
氣安さ
判斷してもよいかどうか彷徨はない
いつでも異議を唱へられる
意見が事態を前に進める或いは事態に對して落ち込むのを止めるものだと自覺されれば躊躇なく言へ又行動ならば行なへる事、それが集團の性質として有る事
操作的な定義で (操作的な定義は枠を變へ辛いが實用し易い)、曖昧さは残るがまづまづと思ってゐる。前に進めるや落ち込むと云ふ譬喩は如何にも固定し得ないし、「集團の性質として有る」が意味不明な當たりが目につく曖昧さだらうか
自分が「正しい」と思ふ事を、言ふ事や行ふ事の恐れや躊躇ひ等の情動を感じずに言へ又行へる事
感情を焦點とするから「心理的」と言ふ。「率直な意見が出た」、卽ち意見が率直であると云ふのは、意見の文面と狀況との關係であって、言った本人の感情は考慮してゐない。そこで殘念ながら「率直な意見が出た」か否かは心理的安全性の高低には關はってゐない。また本人の認知も要點ではない。認知 (知覺と思考の關係) は、感情 (知覺と情動の關係、また思考と情動の關係) とは異なるから。だから心理的に安全であるか否かは、各々の感情を知らないとわからない。 また「安全」といふのは消極的な槪念だ。本人が何らかの感情を抱いてゐる事は、どんな肯定的な感情であっても安全であるか否かを示さない。家が安全であるとは、侵入を受けない事、侵入を受ける危險が無い事を言ふ。家に幾ら裝甲を巡らせても、侵入される危險があるなら安全ではない。何らかの感情を抱くのは、時に應じた安全の一手段であって、目的でもないし (少なくとも直接の) 指標でもない。だから心理的に安全であるか否かは、障礙となる情動を感じてゐない (または氣兼ねしないくらいに少ない) 事を知らないとわからない。 「心理的安全性」とは、個人が製品や team の爲に好いと考へた事を發言し行動する事が、本人にとって情動上の阻礙無く言へ又行へる事を言ふ 個人の發言や行動が批難される事は「心理的安全性」の定義の逆ではなく、阻礙要因の一つである 病像を病因として定義するやうなもの
雜談はよく心理的安全性に關聯づけられる。效果が有る現場にゐた事もある。效果が芳しくない現場も見てゐる。現象的には、常に行なはれる雜談は豫測可能性を高める事で效果を發揮する樣に見える。豫測可能性は法運用からとった用語だが制禦についてとしても讀めよう。外生的に偶に起こるワイガヤは效果が無いのかもしれない 雜に就いて熱の語で言はうとしてゐた事が昔在った (SIP v.s. UDP の譬喩が當時は氣に入ってゐたが應用が效かなかった)。熱の譬喩はもっと使へるかもしれない。勢の語と結び附くかもしれない