『野分』
ここ数日どうにも寒いので、野良仕事も、ガレージでの鍛冶屋の真似事もやめて、部屋に引き籠って夏目漱石全集を読み進めている。『草枕』にかなり手間取ったが、おかげで読み終えることが出来た。『二百十日』、『野分』と続けて読み終り、これで第三巻は終り。
漱石は『吾輩は猫である』において財力を頼みとする愚物(金田鼻子)を登場人物たちに揶揄嘲笑させたり、『坊っちゃん』において社会的地位を頼みとする愚物(赤シャツ)に対して主人公たちに鉄拳制裁を加えさせたりしていて、なるほど、漱石は人格低劣な輩が財力・社会的地位・門閥などを誇って威張り散らかすのが癪に障って仕方が無かったのだろうと言うことはよく分かる。
そして、世の中がそういうものである事を認めた上で、では、そのような低劣な世間に負けることなく自分が信じる高潔な価値を守るために、自分はどうすれば良いか、どうしたいかという事を実験的な手法で考えてみたのがこのあたりの小説なのだろう。
『草枕』の非人情主義では駄目だとしたら、後はもう、正々堂々と自分が信じる義の旗をかかげて、革命(暴力ではなく知力による革命)を目指して世間に対して正面撃破の戦いを挑むしか無いよね、というのが『二百十日』の宣言であり、でもまあ、それもなかなか難しい所があるよな、というのが『野分』だ。
すごく図式的な、単純な理解だな。大丈夫か?