読書
読書、ひとつの本を読みきらずに、興味のままに読む、毎日ちょっとづつ読む、読まなくてもとにかくページを開く、気になったところは赤線を引く、耳を折る、読了を目的としない、とにかく本はページを開くのだ、というスタイルに移行して2ヶ月。この2月は18冊ばかり読み散らかしてそのうち7冊読了した。今、読んでいるヤツでメインは「大陸と海洋の起源」なんだけども、これは読みだしてから1ヶ月、やっと上巻が終わった。1冊読み終えるスピードは全然上がる気配がない。でもいつもならとにかく読み終わるまで他の本に手をつけることがなかったので、それから比べたら本当に今までにないペースで読んでいる。本読んだからって何か、人生とか、運命とか、そういうのが変わるってことはまずないけども、読み切ることから自由になるだけでこんなに軽々とした気分で本読めるのかと思うと、本当に生まれ変わったみたいな気分だわ。 ベランダ読書いいなあ。適切なベランダといい感じの椅子ほしい。 適切なベランダといい感じの椅子
ある程度の広さ
1階で道路から丸見えや、隣の建物から丸見えは避けたい。
キャンプチェア
以前、奥泉光さんと夏目漱石について対談したとき、奥泉さんは、小説はタイトルを読んだだけでももう読んでいる、そして、最後まで読んでも読み終わらない、と話していた。本棚に並んだ背表紙を見ているだけでも、読んでいる、と。 わたしたちは、常に読んでいて、読むことの中にいる。
「本に「冊」という単位はない。とりあえず、これを読書の原則の第一条とする。本は物質的に完結したふりをしているが、だまされるな」
「ところで、映画は忘れる。どうしても。でも本も忘れる。忘れれば忘れるほど、見直すたび読み直すたびに新鮮なんだから、それでいいじゃないか。それは負け惜しみ。あまりに忘れるから絶望的な気分になる。だが覚えている部分もちゃんとあるのだから、ある映画をたしかにあるときには見たし、ある本をあるときにはたしかに読んだわけだ」 アニエス・ヴァルダの「5時から7時までのクレオ」(に映っていること、で起こること)について書いたあとに、
「たぶん、以上のような流れで大きなまちがいはないと思うのだが、やっぱりあまり自信はない」
と、書いてあって、わたしはこの不確かさを信頼する。
わたしたちは、常に読んでいて、読むことの中にいる。
なんでこんな本紹介するのかという感じだけど,ソフトウェアは人間が使うから,人間のことを知る必要があると思う.
ソフトウェアは人間が使うから,人間のことを知る必要がある