散歩
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街を知る
いや、そうするとこれを総称して歩く価値というのか。
歩くとは、身体が移動性(モビリティ)を獲得すること。 インターネットでリンクをたどることは歩くことに似ている
松尾芭蕉は「おくのほそ道」でリンクをたどるように旅をしている。 芭蕉の旅が古典、歌枕のリンクをたどる旅だったように、インターネットでリンクをたどることは歩くことに似ている。人は一度に一つの道しか歩くことが出来ない。同じように人は一度に一つのリンクしかたどることが出来ない。 きょうは休み。なんだか無性に歩きたくなって、ラジオを聴きながら線路沿いをひたすら歩いた。疲れたら適当な駅で小田急線に乗って帰ってくればいい。そうやって気が済むまで2時間ほど歩いて、たどりついた知らない街の無印良品で買物したり、ドーナツを買って帰った。酒も飲まずギャンブルもしない僕が独自に編み出した、片道の電車賃だけでできるストレス解消法。電車に乗っていると街は駅の単位で点として存在しているが、歩いてみると駅と駅のあいだも(当たり前だが)つながっていて、街と街のあいだはゆるやかなグラデーションになっていることに気づく。知らない街と知らない街が重なった、知らない場所の知らないマンションのベランダに置かれた植物を眺めながら、もしかして有り得たかもしれない自分のすがたを想像する。インターネットの力を使って、日記なりポッドキャストから本来であれば知り得なかった他人の生活に触れることは、たくさんの可能性から結果的に選ばなかった無限の自分を覗き見ているようにも思う。 jalan
じゃらん
jalan-jalan
散歩する
自分の家から歩いてどこかに行くと連続性が感じられる