ダウ90000第7回演劇公演「ロマンス」
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ダウ90000『ロマンス』構造とか展開がかなり好みのやつだったってのはあるけど、それ差し引いてもだいぶ凄かったです…。良いものを見せていただきました。
役者が何人かで“同じ立場の役”を演じているけど、それぞれのキャラ付けや言い方が少しずつ違うから、同じ役割を分担してても飽きないし分かりやすい。
逆に、ひとりの役者が複数の役を切り替えるときも、演じ分けがはっきりしてて混乱しない。声色、間、身振り、キャラの癖でちゃんとスイッチしてた。
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ダウ90000第七回演劇公演『ロマンス』 ※ネタバレあり
<“遠回りする”ということ>
蓮見の筆致の核というのは “無駄な遠回り”にある。尺が稼げるというのはもちろんあると思うのだけど、遠回りしたコミュニケーションへのフェティシズムを感じる。“好き”という感情を、いかに「好き」という言葉を使わずして伝えられるかというような。たとえば、前述の上原演じる脚本家の自己紹介などはこう。
“坂谷”*2です
見附はいらないし、サイゼリヤはいらない。しかし、この無駄が戯曲に豊かさを生んでいる。そんな坂谷がかつて恋心を頂いていた漫画家の大八木は、「どこに住んでるんですか?」と尋ねられると、
酔っぱらって歩いて帰ったときに迷い込むような住宅街です
と答える。ここには、円滑なコミュニケーションとは別次元の豊かさがあるし、笑いも生まれる。こういった“遠回り”に美学を見出している蓮見翔の仮想敵として、テレビ局勤めの花島プロデューサー(園田祥太の怪演が好ましい)というキャラクターが登場する。花島は「はっきり言わないと、お茶の間には伝わらない」と、坂谷の書くドラマの台詞をわかりやすく愚直なものに勝手に変更してしまうのだ。花島の手にかかると、ドラマの登場人物は「初恋が始まった」とか「こんなの三角関係じゃん」と口に出して喋るし、挙句の果てに告白する前に「告白していいですか?」と尋ね、「告白してもいいですよ」と答えてもらってから、告白シーンが始まる。ここには、“わかりにくさ”を排除するマスメディアへの痛烈な皮肉が込められているのだが、秀逸なのは、この仮想敵であるはずの花島の「はっきり言わないと伝わらない」という指摘が、劇中においてある種の正しさを持ってしまうところだろう。坂谷と大八木の恋がなぜ4日間で終わってしまったか。数日前に聞いた「はじめてタクシーに乗る時は好きな人と乗りたい」という大八木の言葉を受けて、坂谷は全身全霊の告白のつもりで、買い物帰りに「タクシー、乗りませんか?」と誘う。しかし、そんな自身の発言をすっかり忘れていた大八木は「近いのに、もったいないよ」と断る。その返答を告白の断りと思い込んだ坂谷は、失意の中で大八木の前から姿を消してしまうのだ。「好き」としっかり言葉にしないと伝わらないことが、この現実においては多々ある。 <あなたはおもしろい>
それでも、蓮見は“無駄な遠回り”のやりとりにこそ、人間の可笑しさや愛おしさが芽生えると信じている(ように思う)。坂谷と大八木は、“4日間のロマンス”を振り返り作劇に落とし込む際に、相手の発言のおもしろさだけフォーカスし、何故か自分の発したおもしろい言葉は忘れてしまっている。2人は互いのことを“おもしろい”を感じていたのに。「君はおもしろいけど、自分はつまらない人間だ」と卑下する坂谷を、「あなたはおもしろかった」と大八木が伝える。そう、この『ロマンス』という公演は、この人類総批評家時代において、傷つきくすぶる数多の創作者たちに、「あなたはおもしろいんだ」とエールを投げかけるような作品なのだ。いや、街中で見聞きした会話を採集して作劇に落とし込むという蓮見の執筆スタイルを考えれば、創作者のみならず、この世に生きるすべての人に、「あなたたちの人生はおもしろいんだぜ」と呼びかけているのかもしれない。