『QRコードの奇跡―モノづくり集団の発想転換が革新を生んだ』
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トヨタグループの関連会社であるデンソーで、自分たちの生産現場の業務を楽にするために、
二〇一八年のある日、中国から日本企業視察団がデンソーウェーブを訪問した。トヨタ自動車やパナソニックなど大手企業を訪問する中、当初は同社に興味を示していなかった視察団が、実はデンソーウェーブがQRコードを発明した企業だと知った瞬間、態度が一変したという。 視察団の人々は興奮し、記念撮影をしたいと言い出したり、中国に帰ってQRコードを発明した会社を訪問したことを自慢したいから、記念になるものは売っていないのかと社員に尋ねたりしたというのだ。 「中国の人にとって、それほどまでにQRコードが身近なもので、素晴らしい発見だと思ってくれているとは驚きました」と、同社の社員は話してくれた。 バーコードリーダーの中身はどうなっているのかを知りたいデンソーの三名は、一計を案じた。説明に出てきた松下電工の担当者に野村があれやこれやと質問をぶつけ、先方の注意をそらす。その間に仲野ら二人がバーコードリーダーの蓋を開け、中の回路がどのようになっているかを確認するという作戦だ。 デンソーがコンビニエンスストア向けに検品用スキャナーを含むバーコードリーダーの市場を開拓できたことは、同社のQRコード開発に二つの点で大きく貢献することになる。 一つは、自動車業界だけでは遭遇しない多様なバーコード読み取り場面を経験し、読み取り技術の幅を広げ、技術蓄積を促進したことだ。もう一つは、バーコードリーダー事業が生み出すキャッシュがQRコード開発に取り組む原資となった点だ。
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元来、コンピュータで使用される文字コードはアスキーであったが、インターネットや情報技術の普及により、各国の言語に対応することが必要になった★5。そのために考案された文字コードがユニコードであったが、ユニコードは一六ビット構成であり、冗長度が高くなっていた★6。 当時、日本ではコンピュータ用日本語の文字コードとして、いわゆるシフトJIS(JIS XO0208のサブセット)が主流であったため、QRコードには、このシフトJISを効率良くエンコードする機能が搭載された。 全米自動車産業協会での標準化で、デンソーの代表として辻本は、以下のことを粘り強く説明し、理解を求めた。 まず、QRコードが既存の三種類のライバルコードがそれぞれ持っている長所を併せ持つコードであること、アメリカでの毎月開催の全米自動車産業協会委員会でアメリカの日系自動車関連企業でQRコードが使われ始めていること、アメリカを含む国際標準を決める国際標準化機構でもQRコードの標準化作業を開始していて、国際的に認められたコードであることだ。 また、審議中に委員からライバルコードであるデータマトリクスと比較したQRコードの技術優位について、疑問視されることが何度もあった。そこで、QRコードが総合的にデータマトリクスより優位に立つことを示すため、第三者研究機関としてアメリカの大学に性能試験を依頼した。
セキュリティの強化
データの読み取り制限機能を持ったQRコード
一人の天才経営者がQRコードの潜在的価値に気づき、開発し、見事なマーケティングによって普及させたというストーリーは、そこには存在しなかった。 世界的に広く利用されるようになっている今のQRコードの姿を実現させた功労者は誰かと聞かれても、一人だけを挙げることはできない。QRコード開発を主に担ったのは原昌宏だったが、岡本敦稔、野尻忠雄、柴田彰やNDコードというQRコードの源流にまでさかのぼれば、野村政弘の貢献も無視するわけにはいかない。 QRコードの世界的普及は、それぞれの段階で個性豊かな技術者が目の前の技術的課題をどんなことをしてでも解決しようとする、モノづくりにかける思いに突き動かされ、仕事にのめり込んでいった結果、実現したものだ。彼らの思いは純粋であり、本能的といってもよいほどのものだった。 企業経営は総合芸術だ。組織の中心人物の持論を構成する核ロジックになる因果の束が、時に恣意的に、時に職人的に組み合わされ、戦略が実行される。その結果、他の何者かでは実現できない経営現象が私たちの目の前に現れることになる。 交響曲の演奏で指揮者のタクトの動きに楽器演奏者が同期化し、美しい音色を奏でるように、企業では組織の中心人物の動きとその他の人々の活動が連動することで、新しい製品・サービスが開発され市場へと導入されていく。