ピエール・ソヴァネ
ここではソヴァネのリズム論の前提として、三つの特徴を確認する。
1)ひとつ目は、汎リズム主義(panrythmisme)への批判である。汎リズム主義にとって、「すべ てはリズムである」、また逆に、「リズムはすべてである」(RR, 1/11)10)。たしかにこのように想定して、あらゆる現象のうちにリズムを見出そうとすることは、リズムを研究する者にとって快い ことかもしれない。だがそれでは、リズムにかんして、カテゴリーや形式を追究する試みはなくな ってしまう。これに対してソヴァネが目指そうとするのは、リズムの定義、それも哲学者にとって 受け入れられるリズムの定義をおこなうことである(RR, 1/156)。
2)それに関連して、ふたつ目の特徴は、リズムを現象として定義するということである(RR, 1/157)。リズムは、あるときにはあらわれたと思っても別のときにはなくなっているし、ある人 にとって感じられても別の人にとっては感じられないものである。この意味では、リズムを考える ときには、本質の定義ではなく、現象の定義を見ていく必要がある。つまり「リズムとは何か」を 問うのではなく、「リズム的なものはいつどこにあるのか」を問うということである11)。これにか んしてソヴァネは「現象学」という章を配しており(RR, 1/97-154)、リズムとリズムを知覚する 主体との関係という問題について考察している12)。
3)三つ目は、リズムと理性のあいだの関係である。ソヴァネによると、リズムは理性でとらえ るものであると同時に、理性を逃れるものでもあるという。「実際リズムは、測定され(mesuré) うるもの、それゆえ理性でとらえ(rationalisé)うるものであり(これは量的な部分においてであり、 そこから比率と黄金数の理論が出てくる)、それと同時に、理性を逃れるもの(とりわけシンコペ ーション、出来事、予測できないもの)、さらには理性が理性自身から逃れるようにさせるもので もある(トランスの場合のように)」(RR, 1/12)13)。ソヴァネが強調するのは「リズムにおいては 何らかのものがつねに理性を逃れている」(RR, 1/212)ということである14)。
山下尚一「かたちと流れのあいだ ―ソヴァネにおけるリズムのあらわれの問題―」pp.50
リズムを構成する3つの基準
リズムの第一の基準は、構造(S)である。構造はいくつかの要素によって成り立っているが、 たとえば音楽でいうと、持続、強度、音色、音高といった要素である(RR, 1/168)。これらの諸要 素がうまく配置されることによって音楽は「構造をもった、つまり「形象となった」「図式となった」(structurée, c’est-à-dire “figurée”, “schématisée”)」(RR, 1/167)音楽となり、ほかの音楽的なかた ちを考えることはできなくなる。
第 二 の 基 準 は 周 期 性(P) で あ る。「 そ れ は 循 環・ 回 帰・ 交 替・ 反 復・ 調 子(des cycles, des retours, des alternances, des répétitions, des cadences)として知覚あるいは思考されるさまざまなリズ ムの全体を含んでいる......。一言でいえば、13時が1時になるようにさせているもののことであ る」(RR, 1/177)。つまりリズムとは一般的には、再びやってくるもの、戻ってくるもののことだ という。
第三の基準は運動(M)である。運動は、ギリシア語のメタボレー(metabole)と関連づけられ ている。メタボレーは「変化」「移行」という意味をもっており、具体的には服や性格、立場や政 党といったものが移ること(déplacement)、変化すること(changement)を示していたという(RR, 1/189)16)。第一の基準である構造が、秩序や理性といった特徴をもつとすれば、運動というのは、 秩序を壊すもの、非理性的なものといった特徴をもつ。
ソヴァネはリズムの三つの基準のなかでも、とりわけこの運動について強調する。つまり、バン ヴェニストがそれほど注目しなかったところを強調している。とはいえ、運動だけではリズム的な ものにはならない。運動は、構造や周期性と相互に関連し合うことでリズムとなることができる。
ibid, pp.50-52
運動=変わっていく同じもの
このように運動は変化であるとはいえ、まったくちがうものが出現するというわけではない。ソヴァネがイタリックで強調しているように、ほかのものになるにもかかわらず同じものであるとい うこと、あるいはむしろ、ほかのものになるという仕方で同じものであること、それが運動というものの特徴である。
差異と反復、生成変化
第一に、運動が構造や周期 性に作用してそれらを変化させていくというとき、「同じものの他なるもの(l’autre du même)」と いう特徴をもつ。第二に、運動のさなかに構造や周期性が浮かび上がってくるというときには、「他なるものにおける同じもの(le même dans l’autre)」という特徴をもつ(1/209)19)。これら二つの あり方のうち、第一のもの、つまり「同じものの他なるもの」というのを説明するのにあたって、 ソヴァネは「シンコペーション(syncope)」と「アゴーギク(agogique)」いう音楽用語をもち出す 20)。
nozakimemo
ソヴァネと刻む・数える
構造=かたち=理性=数える身体=アポロン的なもの
運動=流れ=身体=刻む身体=デュオニソス的なもの
周期性=その二つの接するもの=かたちと流れのあいだ=リトルネロ?
ソヴァネの議論で予測誤差をどう説明するか
反復される誤差、誤差を含んだ構造、「かたち」をブラす運動
運動の中の停止
山崎によるベルクソン批判 抵抗体
刻みの中の拍、閾としての拍
リズムがいつ止まるとも知れない不安、ある時点からまだ存在しない未来への飛躍としての刻み、その間にある無限の間隙
これはドゥルーズのシネマ等も絡んできそう
消えてしまうかもしれない足場を辛うじて留めておくための「刻み」
俯瞰的に捉えられる形態に生じる誤差としてのズレ・ブレでなく、構造全体が一挙に崩れ去り跡形もなくなくなってしまいかねない破壊可能性(一度止まってしまったリズムを再興するのは難しい)、今自分が先端にあるということ、今ここの瞬間から、まだ存在しない瞬間への無謀な飛躍、その手綱となる周期性・構造。「命がけの飛躍」(マルクス)。
バシュラール的瞬間性
「構造」の不可能性。さしあたっての仮の足場みたいなもの。飛び職人の足場のように、組み替えながら高くしていくような。
鳶職人と足場