シンコペーション
…リズムに関する音楽用語で,切分音と訳される。一般に,基準となる拍節パターンを破るアクセントの移動をいう。…
破調、ズラし
とりわけシンコペーションという語は、ソヴァネのリズム論全体において重要な概念である。こ の syncope というフランス語は、音楽の分野では「シンコペーション」「切分音」というふうに訳される。これはたとえば、4拍子の音楽では、1拍目と3拍目に強調・アクセントがくるべきなのだ が、それをずらして変化をもたらすという技法のことである。また医学的にいうと「失神」であっ て、急性血圧低下などによって気絶・卒倒してしまうことである。言語学では「語中音消失」のこと、 つまり単語のなかのある音がなくなってしまうことを意味する21)。
「失神」の意味もあるの知らなかった。かっこいいな
非美学 Anaestheticが「麻酔論」とも訳せるという話を思い出した
シンコペーショニズム 失神主義
Flying LotusやJ Dillaのビートはある意味「全てがシンコペーションである」と言えそう
スネアが毎回異常に早く鳴る曲とか
僕が捉えようとしている「刻む」行為は、構造に乗りつつも構造を切断し破調する、しかしそれ自体が反復され新たな構造となるといったシンコペーションの反復のことなのかも
刻む行為は基本的にシンコペーションでしかあり得ない。切断し、かき消す。
リズムを刻むとき、我々は鳴っている音に追従するのではなく、時間の間隙の中へ敢えて飛び込むことになる。リズムにおける周期性はその手綱のようなものだ。だけどそこには真っ暗な間隙と予測誤差への不安、自分の予測そのものへの不信、そしてリズムそのものがそこで止まってしまうのではないかという恐怖が常に付きまとう。アリズムの恐怖、カオスへの恐怖。その暗闇に敢えて飛び込むことで初めて拍と一致した刻みができる。刻む行為は本質的に、常にシンコペーションなのである。
刻むことはリズミカルな失神である
ソヴァネにおける「シンコペーション」も切分音だけでなく、より広い意味で使われているようだ
これにかんしてソヴァネは、ジャズのスイングの例をあげる(RR, 1/210, n. 136)。ジャズの演 奏者は、4拍子の楽曲において、弱拍であるはずの2拍目と4拍目に強調をおくように演奏するこ とがある。とはいえ演奏者はそうしたアクセントをずっとつづけるのでもなく、ほんの少し、16 分音符ほど伸ばしたり縮めたりして、リズムのしなやかさという印象を与えるといわれている。
これを見ればディラやFlyloのリズムをシンコペーションとして分析することは妥当だろうし、千葉雅也的なカジュアルなリズム論においてシンコペーションを適用する余地もありそう
作品アイデア
「間隙」に鑑賞者を叩き込む
リズムゲームのマシンを転用?