いいねじゃなくてフィードバックがほしい
最初に書いたのは2019/4/13 11:23
特に勉強メモ、ブログ、まとめ、的なものに関して。
Twitterはまた別で、いいね欲しさもある気がする
いいねはもらえると確かに嬉しいかもしれないが、知識としては何のプラスにもならない
いいねをもらうためにブログを書きました
いいねが沢山つくような記事をまとめました
果たしてそれにどれほどの意味があるのか
ここで言うフィードバックとは、批判や補足、称賛など
結局称賛は入るのか?mrsekut.icon
アウトプットして、誰かからのフィードバックをもらって彼らも自分も知識的に得をするというのが理想
本当にやりたいのはそれだっけ?になる
承認欲求のための機能があるものを使うと、無駄にそれを見てしまう
原因は自分の弱さでもある..mrsekut.icon
フィードバックをしやすいデザインをする
フィードバックが欲しいなら、そのための行動はしないといけない
フィードバックする側も大変
投稿するだけして、フィードバックが来ない!クソサービスだ!ってなるのも変だmrsekut.icon
「この技術といえばこの人」ぐらいの有名人になれると色々便利そうではあるな、と思ってる
便利というのは、結局、良いフィードバックを得られるという意味で
識者に存在を認知されていたら、識者から解答を得られるという意味で
しかし、そのためにQiitaで釣りバズり記事を書く気にもならない
Scpraboxは承認欲求機能は排除されている
読むべき人までリーチ、そこでフィードバックがもらえると嬉しい
見るべき人はちゃんとリンク先を見てくれる感じがある
アウトプットは確かに学びにつながるとは思うが、どの辺がつながるかを理解していないといけない 例えば、良いものを作るためにまとめているのが良いのか
そのまとめが後で忘れた時に思い出すのに最適な資料だからなのか
声に出して説明すること自体が記憶の定着の助けになるのか
そのアウトプットが、学びに繋がるものなのか、ただ自己承認を満たすためだけのものなのかは気にする必要がある
自己承認欲求による幸福感はなるべく避けたい
というか、これに頼りたくないと言うか、これに価値を見出したくない
うまく言語化できていないが、これに頼りすぎると破滅する恐れがある
特に自分は自己承認駆動ではない気がしているので、それは持続的な幸福につながらない
それを目的に行動すると、どうなるのか
じゃあ、お前もフィードバックをしろ
わかるmrsekut.icon
でもあまりしていないmrsekut.icon
学びに繋ったし嬉しかった
記事の邪魔にならない具合にわからないことを残しておくのは、自分の書くことの意義と織り交ぜて考えてもわりかし良い方法なのかも知れない(?)