『記号と再帰』
https://gyazo.com/c38d674cc867e7da274f974101afdf10
2017/4/29
プログラミング言語としてはHaskellとJavaが出てくる
Haskellの書き方が微妙に歪でちょっとギョッとしたが、まぁそういうものか、ってなったmrsekut.icon
おもろいなこの本
記号論1mmも知らないがmrsekut.icon
関数型とOOPを変わった視点で比較しているのが新鮮
1章
記号は再帰性, すなわち自身に即して自身が決まる性質を持つものである。
こういう性質のことを再帰と呼べるの?mrsekut.icon
人間と機械の類似性を記号論の側面から、とりわけ再帰の面から考える
今までは記号論は、人間が解釈も吟味をするものだった が、これをプログラミング言語で考えることにより解釈を機械が行う
今までは、「記号とは」自体が曖昧だったが、↑こういう話により発展が期待できる(?)
プログラミング言語は人工言語の中で最も成功したもの
使われている場所も広い
コレにまさる言語は現状、自然言語のみ
2章
HaskellとJavaの基本的なところの紹介
計算対象
プログラムとして表現された対象
本書の中での言葉
ex. 長方形の面積を求めるときの計算対象は、幅と高さ
本書が議論の対象とするプログラミング言語中の記号は、識別子のこと
演算子なども識別子として表現できるから
レイヤー
ハードウェア
記憶領域中のアドレスは、識別子の実態
識別子にはアドレスが割り振られ、そのアドレスの先には値がある
なので、識別子は、アドレスも値も同時に表現していると見れる
プログラミング言語
識別子は、定義され、使用される
さらに2層に分かれる
型
アドレス
自然言語
プログラムを人が解釈する
「プログラミング」という行為はそれだねmrsekut.icon
コード中のコメントもそれ
記号の解釈を記号系の中だけで捉える立場
現実世界には記号以外もあるが、その対象は、記号を媒介しないと人間は認識できない、と考える
3章
この章おもろいmrsekut.icon
ラベル同士が対応するのは良いとして、シニフィエと三元論の何が対応するのか問題
既存の仮説
ノスとエーコ
https://gyazo.com/5403d3a81200da6edd9a0ccbd0f11e63
新仮説
https://gyazo.com/9977ee40d01c651c1e3481f7c8a783bb
関数型とオブジェクト指向
https://gyazo.com/e5c4a5d0f59ff19864505d47e82b5383
データ型と、それを操作する関数の場所を比較する
データ型を主体としてみると、
関数型の場合、関数は外在している
OOPの場合、関数は内在している
記号は、semanticsとpragmaticsを表象する媒体
意味論と実用論
内容と使用
記号過程
記号系において複数の記号を記号列あるいは記号表現として運用すること
4章
3つのこと
記号は不可分
シニフィアンは恣意的
記号には差異しかない
記号と記号の差異に注目する
なので、「一単語のみの言語」というのは存在し得ない
記号の構成要素が持つ2つの機能
分節
名前付与
ソシュール以前は、記号は「名称のリスト」だった
実物の分節に、ラベル付けをしているだけ。
ソシュールはそれを否定し、シニフィアン側に分節機能があると考えた 関連
ラムダ抽象は、自身には名前をつけられない
後続するラムダ抽象には名前を付ける感じにはなる
ここだけ見ると、ソシュールの二元論とラムダ計算は少しの乖離があるように見える
let式を導入することで、識別子をつけることができる
識別子をつけることで、再帰的な定義ができるようになる
再帰的な定義
識別子は恣意的
識別子自身が右辺でどのように使用されるかで、自身の内容が分節される
指示子と内容は不可分
再帰性が記号の本質 p.74
批評
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