離脱可能性
(遭遇は許容し)離脱の自由を担保できているかどうか
cf. ゾーニングは遭遇の防止に力点が置かれている
ゾーニングと離脱可能性の違い
例1:子供がアプリのランキングで性的な配信タイトルを見る
ゾーニング:子供の目に入った時点でゾーニングの失敗。年齢確認ゲート、フィルタ、カテゴリ分離が必要。それでも防げないなら、コンテンツ自体の排除が正当化される。
離脱可能性:タイトルが見えることは危害ではない。子供がその枠に入らなければ内容には遭遇しない。親が「このアプリは使わせない」と判断すれば済む。離脱手段が存在する以上、コンテンツ側に排除の義務はない。意味のわからないタイトルを見ただけで傷つく子供がいるという想定自体が、過保護な不快原則に立脚している。
例2:Twitterのタイムラインにセンシティブな画像がフォロー外から流れてくる
ゾーニング:アルゴリズムが選択していないユーザーに露出させているのでゾーニング不全。センシティブフィルタの強化、表示前のワンクッション、カテゴリ分離が必要。
離脱可能性:スクロールすれば通り過ぎる。ミュート、ブロック、「興味がない」ボタンなど離脱手段は複数ある。不快な投稿が視界に入ることとそれを強制的に視聴させられることは別問題。タイムラインに多様なものが混在すること自体は、グレーゾーンの消滅:プラットフォーム健全化がインターネットから奪うもの2.3節で論じた「振動の快楽」や「偶然性の価値」と地続きであり、むしろ肯定される。
付け加えると
フィルタやアルゴリズム的なゾーニング機能はあれば親切。
しかし、それがないことはコンテンツ排除の正当化事由にならない
スクロールで通り過ぎられる、部屋から出られる、アプリを閉じられる——この程度の離脱手段があれば、コンテンツの存在は正当化される。
継続して使う際にはフィルタやミュートを有効活用することになる
例3:一般向けゲームの中にセクシャルなミニゲームやシーンが含まれている(GTA的な)
ゾーニング:レーティング(CERO Z等)で購入段階のゲートをかけ、さらにプラットフォームによってはストアから排除される。性的要素が含まれるならアダルト専用ストアに移すべき。ゲーム全体のレーティングが上がることで、非性的部分も含めてアクセスが制限される。
離脱可能性:ゲーム内でそのシーンをスキップできる、あるいはそのミッションを選ばなければ遭遇しない構造であれば十分。ゲーム全体を「性的コンテンツ」として隔離する必要はない。GTAの面白さは暴力・性・コメディ・社会風刺が一つの世界に混在しているからこそ成立するのであって、「曲を調ごとに分割すれば音楽が死ぬ」
3例に共通するパターン
ゾーニングは「見せない」を追求するから、完璧に見せないことが不可能な場合に「じゃあ存在ごと消す」に帰着する。
離脱可能性は「見ても出ていける」で足りるから、混在を許容したまま止まれる。
ゾーニングの論理は原理的にエスカレーションを内蔵しているのに対して、離脱可能性は「出ていける構造があるか? ある。 では終わり」で止まる。
エロ広告が消しても消しても出てくる状態は離脱可能性が低い状態
基素.iconの独自用語
exitability