議論を透明化することのデメリット
議論の透明化をすることについて、自然に考えるとよいことに思える。しかし弊害もある。 透明化のゴール:証拠をのこすことで、
後から議論を検証する
謎論理で話が進行するのを第三者が監視する
例:警察の調査の取り調べは、不当な取り調べがある可能性があるため、裁判の際には映像が出てきてほしい
一方で、議論を円滑に進めることに関しては、たんに透明化するだけでは担保されなくなるケースがありそう
透明化自体を目的にすると次のようなことがデメリットが発生する可能性がある
「多くの人の耳が痛いが正しい意見」がでてこなくなる?
揚げ足取りのリスク
コンテキストの共有されない状態での誤解に基づく大きな反響のリスク
公然と他人を批判し合う環境で本音が語れるのか?
間違うことのリスクが上がるので、を目指そうとするが、「完璧な発言」は完璧なドキュメントと同じぐらいコストが高い
完璧を求めるものでも、完璧はありえない
言い間違いができないのは怖い
ものにもよるが、大抵の場合は間違えても直していくほうが最終的な生産性は高いはず
本心は変わらず表現が底に潜るだけでいいのか?
その場で議論すべきことなのか?
難しいが考えたいこと
透明化は常に正しいと考えると仕組みを整えずに過度に推し進めてしまうと問題が起こる 類似の議論
事実に基づき、5年後に見てもまっとうと思える議論をし、現実にアクションを起こしていきたい基素.icon
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