本音を語るには心理的安全性が必要
本音に価値がある。その人の行動のモチベーション(欲望)を知ることができるからである かけあわせするようなアイデアの中には燃えかねない考えがあることがある このような情報を晒すのは、炎上しても大したことがないだと評価できる場所でしかできない
最大でも1日ショックを受ける程度のダメージぐらいで収まってほしい
ネットの暴言についてはぼくは構造上仕方のないことだと諦念みたいなものがあるけど、企業アカウントや多少のバズにつくクソリプの嵐をみると発信する場としての心理的安全性あんまないなという気がする コミュニティがDiscordやファンサイトに移動した
以下では、このツイートに至るまでの思考を書く
初対面の人間にあけすけにものを話す人は多くない
インターネットがなければ、コミュ障の自分が多くの人の考えを聞くことはなかっただろう
思ったことを自由に言える場所というのは貴重だと思う
自分の考えを自由に発言できる場所としてインターネットが機能していると思う
一方で、ネットの普及や誰でも多くの人にリーチできるようなしくみによって、炎上リスクは10年ほど前とは比べ物にならないぐらい増えている TwitterのRT
はてなブックマーク
本当のことが知りたいという欲求
事実は考える材料になる。虚飾は考えを妨げる
差し支えることもある、本音を話すことを躊躇する
本音で話して喧嘩がしたいわけではなく、問題解決の手法が失われるのが問題
問題解決には本当のことがわかっている必要がある
本当のことがわからずに判断を誤るケースは古今東西様々な事例がある
嫌なことを言われるかもしれないが、そこは耐えて、良い解決を導きだせるのではないかと考えている
建前はいくつかのパターンに類型化できてしまうので、飽きる
さらに、問題の根本を覆い隠す場合があり、問題解決にも資さない
問題解決がしたいわけじゃないならそれでもいいが、その場合は会話自体に意味を見いだせない
本音を言うと怒り出すような人が多数だと想定する人が多いから、当たり障りのないことが増える。でも、それは別の話
心理的安全性のある空間とは?
基本支持される
建設的な批判がなされる
が少なくとも満たされる必要がある
言論には責任が伴うという支配的な考え方がある
攻撃が発生すると心理的安全性が担保できない
非倫理的とも思えるような発言でも心理的安全性を確保したいのならば攻撃してはならない
攻撃してもその考えは変わらない
それが現実世界に影響する形になるようなことがあれば、改めてブロックすればいい
2018年現在の日本のオープンなSNSがどうなっていると自分が認識しているか 心理的安全性がないと認識している人が結構いる
その人たちは、Twitterも使いつつ、本音はSlackやDiscordやLINEのように、ある程度気心がしれた人たちで固まるクローズドなコミュニティで行なっている
あるいは、ある程度のリテラシーが要求される世界に移動している
昔はTwitterがそうだった
いまはVRChatなどがそうかもしれない(わからん)
最初は社長も同席していましたが、途中で「私たちの在り方はこうだよね」と言い出したので、ご退席いただきました。社員は社長の意見に流されてしまい、本当の意見を言いにくくなるからです。