自分の知識のほとんどは伝聞
https://gyazo.com/1b17a6dc9e997a25e7dda35da3e2ee49
結論が変わるのは
自分の知識がどこから来たのかを考えてみよう
自分の知識とそれからなる意見は、その殆どが誰かの経験・実験が根拠になっている
意見の論拠になるのは頭の中の情報で、大きく2種類
口伝・書籍・動画などの他人の経験に基づいた知識
学校教育
科学的な知識(論文)
誰も試していないことを試す
既存の作品から主体的に読み取って学ぶ
量が1>>2
学校教育で受けるような密度の知識を経験から手に入れることは不可能
学校教育では歴史に残る発見だけが詰まっている
大勢の賢い人たちが手を動かして得た知見が凝縮されているので、これを全てたかだか100年ぐらい人生で獲得するのは不可能だ。Dr. Stoneのような状況になった時に自分で現代まで科学レベルを引き上げられるか?答えは明白にNoだ。 自分の感覚で言えば、知識は95%以上が伝聞
元を辿っていけばどこかの論文とかに行き着くはず
そしてその論文はたくさんの先行研究をリファーしているはず
「本当に新しいもの」は、あるにしてもまれ
https://youtu.be/sj7eer2tArs
14:15
議論をする際に、自分のオリジナルな考えはほとんどないと感じる
一般的な知識に、「個別の事情」という情報を自分が入手して、今までの知識から判定しているに過ぎない
新しさはほんの僅かしかないし、オリジナリティはほぼない。ほぼ機械的に処理している感覚
実際には相互に補完されている
自分の経験を裏付ける論理を信じる、というようなこともあるはず
「オリジナル」を主張できるような思考はおそらくごく一部
この文章ではオリジナルを新規性みたいな意味で使っていることに気づいた
他人ができていない経験をたくさん積んでいるならそれだけで何者かになれるのでは?
雑学サイトの原典を追っていくと論文にたどり着く
事実の解説の文章は大部分が引用で構成される
弁護士が法律のことを書いている文章
過去の判例や条文をベースに論理的な推測をしている
研究論文も積み上げ
完全オリジナルの事実を伝える文章を見たとき、それが正しいのかどうか判断しようがない
検証結果が付いていれば別。しかし、膨大な検証が必要なので発表するときにはちょっとずつ差分を出していくのが普通なので、一つ一つを見るとオリジナリティは少し、というのが多いだろう
自分のオリジナルな結果をベースにどんどん発表していくと、かなりの部分がオリジナルと言える(分野の開拓者)