枯れた技術の水平思考
そんなの売れるはずがないから「出さない」になるんじゃないかな
量産効果でどんどん安くなって、3800円になった。それでヒットしたわけです。
これを、私は"枯れた技術の水平思考"と呼んでいます。
技術者というのは自分の技術をひけらかしたいものだから、最先端技術を使うということを夢に描いてしまい、売れない商品、高い商品ができてしまう。
高いと売れないと考えた。これは大衆娯楽だから
ブランドは高くても売る方法を持っている
あるいは、ブランドを買う人はそこに価値を見出す
値段が下がるまで、待つ。つまり、その技術が枯れるのを待つ。枯れた技術を水平に考えていく。
つまり10年ぐらい前の技術を使うってことかな?
垂直に考えたら、電卓、電卓のまま終わってしまう。そこを水平に考えたら何ができるか。
電卓の技術で遊べないかな?ということ
そういう利用方法を考えれば、いろいろアイディアというものが出てくるのではないか。
横井軍平・著 『横井軍平ゲーム館』 (アスキー 1997年) 岩田
そもそも当時は、プログラマーと企画者とハード技術者は
いまほど職制が明確に分かれていなかったんですよね。
出石
その通りです。
岩田
だから、ハード技術者として入ってきた人でも、
プログラムも書いたし、アイデアも出したし、
場合によっては工作もしたし(笑)。
山本
はい。工作もしました。
それに最後は量産の段取りまで担当しました。
出石
さらに、最終的には
コマーシャル撮りにも行きました(笑)。
山本
そうです。わたしが配属されたときは
『ブロック崩し』の開発が終わったあとで、
「次に何をつくろうか?」という話になって、
新しいゲームの試作品をつくったりしていました。
製品化の際には、LSIをつくるために
必要なマスクパターンを手描きで設計していました。
岩田
当時は、ゲーム機にはコンピュータが使われていなかったので、
プログラムを書くのではなく、ハードで遊びを実現されていたんですよね。
山本
当時はコンピュータが一般的ではなかったですから。
出石
当時のゲームは
ハード屋さんがつくっていたんです。
岩田
ひとつのゲームのために
それ専用のハードをつくっていたんですね。
出石
だから、ハード屋さんが
「ここのスピードはもっと速くしたい」と思ったら、
はんだごてを持ってきて配線を変えたりしていました。
それをみんなで遊んでもらって、
「う~ん、もうちょっとかな」とか言いながら
延々と調整する作業を繰り返し、
「これでいこう!」となってから量産に入っていたんです。
岩田
(略)
ちなみに、人づてにお聞きした話なんですが、
そもそもゲーム&ウオッチが誕生することになったのは
横井(軍平)さん(※9)が新幹線のなかで
電卓で遊んでいる人を見たのがキッカケだったとか。
当時、みなさんは横井さんからどのようなことを言われて
ゲーム&ウオッチの開発がはじまったのですか?
加納
いや、そのあたりの経緯については
残念ながらよくわからないんです。
わたしがクリエイティブ課から開発一部に呼ばれて
ゲーム&ウオッチに関わりはじめたのは、
第1弾の『ボール』の途中からのことで、
その時点で、横井さんと岡田(智)さん(※10)たちが
すでに試作品をつくっていましたから・・・。
(略)
でも、横井さんが
電卓からインスピレーションを得たのは
間違いないと思います。
出石
電卓で使われているのと同じものだったんです。
そもそも電卓のディスプレイのひとつの数字は
7セグメントで表示されるようになっていまして・・・。
このあとセグメントの節約の工夫の話が続く
https://www.youtube.com/watch?v=AQZtdXLWHk8&list=PLSC1DMkOHgF5b0dA3py9KM3nr29O5uTZN
例