想像力の限界
誰もが自分の視野の限界を世界の視野の限界だと思っている ショーペンハウアーの言葉
対象への理解が、自分の常識によってクリップされること 言い換え:
自分が知っている枠組みの中でしか思考することができない
何か物事を考えるときに結論が異なるのは前提が違うからという場合が殆ど
(情報は経験と言い換えてもいい。自分の経験で知り得たことが情報だ)
解釈が変わるのは上記2点のどちらかがその人達の間で変わるから
ただし、思想的な制約がある場合はさらに制約が加わるので結論が異なる
例:イスラム教では進化論を信じておらず、神が人間を作ったと信じている。様々な事実がそれを証明してもこの結論は変わらないだろう(変わりますかね?)
例:「○○というのは簡単なはずなのに、できてないのはおかしい」と思った時
ケース1 ○○は実は難しい問題だった
このケースが殆ど
Step1 「なぜできないのか?」と考える
ボトルネックを見つけて解決できればその分野の先端を走れる
ここが知らないとわからないレイヤーなので、想像力の限界がくる
理論的な話ならよく勉強することで突破できる
企業の都合なら内部の人に聞かなければわからない
よく知られている不文律ならTwitterを検索かけたりすると推察できる場合がある
Step 2「なぜできないのか」の原因の解決を試みる
多くの人がここまで行かない
ケース2 簡単で、やる価値があるのに、まだ誰もやっていない(まれ)
このケースはラッキー。自分が世界一になれる可能性がある
専門家は通常、自分が思いつくよりも多くのことを考えている
これを体感するためには、自分の専門のことを専門外の人と議論してみるのが手っ取り早い
というわけで、普通自分が思いついたアイデアは同じ思考レベルの多くの人が思いついて、試していると考える
ただし、自分が世界一詳しい場合は除く
ケース3 それをやるなら別のことをやったほうがいい
自分の頭で上のプロセスを経ずに判断すると、間違った理解のまま虚無を生産してしまう