富野由悠季
だって昔のことは全部忘れているんですから。
だって、覚えていたら次の新作を作れないでしょう? だからものすごく「忘れる」という努力をしました
富野由悠季の世界』展で展示されたことは全て過去のこと。20年とか30年前の話だし、未だにそのクオリティを自分が保っているとは言えない。だって庵野(秀明)君や細田(守)君、『Fate』っていうアニメにも負けてるじゃないですか。
富野 まあ当事者がここまで言っちゃうと全部謙遜になるから、ひとつだけ偉ぶったことを言わせてもらうなら、そういう時代の渦中で、果たして技術力一辺倒でいいのか、帝国主義の大量消費社会に進んでいいのか、っていうことは当時から自分自身で疑い続けていました。そうなるとやはり人類は絶滅するんじゃないかっていう気分があって、『ガンダム』で象徴的に描いてみたら、やはり間違いなくそういうところへ行くっていうことがわかってきた。 理工科系の思考だけでいったら、おそらく地球は保たない。だからもう少し緩やかにモノを考えるというメッセージを、巨大ロボットアニメのジャンルでも発信していく必要があるんじゃないかなと思ったわけです。これに関してはそれを意識して作った作品があることを考えると、やっぱり富野はただ単に巨大ロボットものを作ったんじゃないんだよね、っていう自負はあるわけです。
富野 それは『Gのレコンギスタ』の企画を考え始めた時にもそう思いました。あの作品ではエネルギー論も含めて「人類が絶滅しないためにどうしたらいいか」っていう話をしているわけだけど、いわゆる『ガンダム』のような戦記物はそのテーマがない。そこに決定的な違いがあるんですよ。 象徴的なことを言えば、ガンダムファンっていうのは『G-レコ』を観て、とにかく「わからなかった」って言うんです。それはそうですよ、だって『G-レコ』はガンダムじゃないんですから。
――監督が考える、文化功労者に選ばれた理由とはいったい何でしょうか。
授賞式の時に会った文科省の職員のほとんどがガンダム世代なんですよ。年齢的にドンピシャです。「ああ、この人達が選んでくれたから、自分は文化庁長官賞をいただけたんだな」って思いました。
彼らは僕に何を要求しているのかっていうことを、1カ月くらい本当に考えました
純然たる中央官僚っていうのは、その時代に決められていることをキチンとやることが仕事で、自分の意見が言えない人たちなんです。だからこそ「自分たちの代わりに、お前が本音で言いたいことを言え」つまり、時代の代弁者として喋る気配がある富野が名指しされたと感じたわけです。
そういう目標が設定されることで――すごく簡単に言います、勉強するしかなくなっちゃったんです。
正直この半年くらい、以前より本を読んでいますからね。それも今まで絶対に読むもんかとか思っていた直木賞受賞作みたいなものまで読む。あと、さっき言ったように「誰が観るものか!」なんて思っていたアニメも観るしかないんだよね。
『G-レコ』が提示してる問題っていうのは、今後20~30年保つんです。だから、今ドタバタしなくていいんだって思ってます。
今『鬼滅の刃』に負けようが関係ないし、30年後にはひょっとしたら『エヴァ』にだって勝つかもしれないなっていうくらいには自惚れています。
富野 映像文化も今、危ういところにきています。配信会社がついに映画制作を始めちゃったし、マーベル映画みたいなものが「映画」と思われている節があったりする。
価値論の違いって、やっぱり時代の問題です。否が応でも時代は変わっていくし、それはしかたないって単純に認めていくしかないんです。ただ、僕のような立場の人間だと「若者に負けたくない」っていう言い方もしちゃいけないと思うし、「昔は良かった」とは口が曲がっても言っちゃいけない。
そうならないように意見を言うことが、年寄りの任務だろうと思います。だからそういう方向性っていうものを、やれるところまでやりたいなって思っています。では、具体的にどうするのって言われたら、近未来思考をするしかないんですよ。
若い世代から情報論やビジネスも含めて「21世紀のインテリジェンスはちょっとやばいんじゃないのか」という、ものの考え方や方法論が出てきてほしいなと思っています。そして、そういう人たちが表れてきた時、初めて「ニュータイプ」と呼べるのだと思うのです。
富野 藤井聡太竜王と大谷翔平選手、この2人はニュータイプです! 残念なことに野球と将棋という狭いジャンルなんだけれど、どうも我々と生き方が違うような気がするんです。そして、お二人に共通点があるのに気づきました。簡単です、「謙虚」なんですよ。今まで名を成した人って、何かとブイブイ言うんだけど、このお二人にはその気配がない。 それでいうと、羽生結弦選手をニュータイプに入れるか入れられないか、1カ月くらい考えていたんだけど、やっぱり認められないのは彼の場合、「普通の人の努力」が見えすぎているんです。あのお二人の、高みにヒョイと行ってる感じとはまるで違います。
このタイプの人たちが、それぞれのジャンルから出てきて30人くらい集まった時、時代が変わるかもしれないですね。
今回のプーチンの戦争は時代の揺り戻しと、世界の欠陥というものを見事にあぶり出してくれたので、改善すべきものを教えてくれました。ですから、真の改革は、20~30年じゃなくて、100年後だったらまだ地球にも間に合うかもしれないっていう感じがあります。