葛飾北斎
1760-1849
20歳 勝川派に入って毎年役者絵(浮世絵)を書いた
35歳 離脱。特に売れなかった
しかも入れ替わりで入ってきた9歳ぐらい若手が自分ができなかったブレイクをする
48歳 曲亭馬琴の本の挿絵を描いていてがめっちゃ売れた。結果有名になる 75歳「もっと成長できる」
己六才より物の形状を写の癖ありて、半百の比より数々画図を顕すといへども、七十年前画く所は実に取に足ものなし。七十三才にして稍(やや)禽獣虫魚の骨格、草木の出生を悟し得たり。故に八十才にしては益々進み、九十才にして猶其奥意を極め、一百歳にして正に神妙ならん歟(か)。百有十歳にしては一点一格にして生るがごとくならん。願くは長寿の君子、予が言の妄ならざるを見たまふべし。
90歳「画風変えます」
死に際に「あと5年あったら本物の絵描きになれる」と言った説は「言いそうだが怪しい」らしい
はたして、北斎は、本当にこのような言葉を亡くなる間際に述べたのでしょうか。引用した飯島虚心の『葛飾北斎伝』の刊行は明治26年(1893)。北斎が亡くなってから44年も後のことです。
ハンドルころころ変えるおじさん
使用した号は「勝川春朗」「群馬亭」「北斎」「俵屋宗理」「可侯」「辰斎」「辰政(ときまさ)」「百琳」「雷斗」「戴斗」「不染居」「錦袋舎」「為一」「画狂人」「九々蜃」「雷辰」「画狂老人」「天狗堂熱鉄」「鏡裏庵梅年」「月痴老人」「卍」「是和斎」「三浦屋八右衛門」「百姓八右衛門」「土持仁三郎」「魚仏」「穿山甲」などと、それらの組み合わせである
研究家の安田剛蔵は、北斎の号を主・副に分け、「春朗」「宗理」「北斎」「戴斗」「為一」「卍」が主たる号であり、それ以外の「画狂人」などは副次的な号で、数は多いが改名には当たらないとしている。仮にこの説が正しいとしても、主な号を5度も変えているのはやはり多いと言えるだろう。
画狂老人卍!
無限の住人のキャラクター名って結構ここから取ってる? 万次 / 卍
凶 戴斗 / 戴斗
偽一 / 為一
百琳 / 百琳
宗理 / 宗理(作中に出てくる絵描き)
うわーまんまじゃん!
ヒラコーが2017年にネタにしてた
劇中の正体不明の黒幕絵師宗理先生が実際北斎その人で
その後のペンネームを偽一や凶戴斗や卍の死闘から
何かしら感ずるものがあって自分のPNにした、
という妄想をする無限の住人クラスタ
FGOでは黒星紅白デザインのキャラクターになっている https://gyazo.com/2e9e02dba178a754f61b63ac42c01c60