存立危機事態
第367回 法の支配 | 塾長雑感 | 塾長雑感
武力攻撃事態等とは武力攻撃事態と武力攻撃予測事態を合わせた概念であり、そこには「予測される事態」も含まれます。その段階で日本が武力行使するとなれば、それは個別的自衛権では説明できません。個別的自衛権が許されるのは、日本が武力攻撃を受けたか、または武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至った場合に限られます(自衛隊法76条1項1号)。単に「予測される」だけでは足りません。
存立危機事態の本質は、日本が武力攻撃を受けていなくても武力行使できる点にあります。だからこそ当初から違憲と指摘されてきました。7.1閣議決定で、武力行使を「日本が攻撃を受けた場合に限る」という限定を外してしまった以上、違憲と言わざるを得ません。しかも、その認定は時の政府の判断に委ねられている。昨年11月7日の高市首相の「どう考えても存立危機事態になり得る」という発言 高市「(台湾有事は)存続危機事態」のように、非常に曖昧で、憲法的統制が効かない仕組みになってしまっている点でも、やはり違憲と言わざるを得ません。
安保法制以前は、「原則として武力行使は許されない」「例外として、日本が武力攻撃を受けたときのみ個別的自衛権として武力を行使できる」という原則・例外が明確でした。ところが日本が攻撃を受けていなくても武力行使を認めたことで、この構造が事実上、逆転してしまいました。結果、日米の軍事的一体化が進み、軍需産業の育成や武器輸出の解禁など「戦争する国としての準備」が、憲法的統制への意識を伴わずに進みやすくなったのです。
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もちろん、抑止力を高めて戦争を防ぐ、という理屈は理解できます。ですが抑止力とは、戦争する意思と能力を相手に示して威嚇することです。戦争する準備によって戦争を防ごうとする政策である以上、憲法前文と9条が想定する「平和」のあり方と緊張関係に立つことは否定できないのではないでしょうか。
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政治の世界では、中道のように、いったん合憲と整理した上で適用を厳格に制限し、違憲的適用を防ぐ、という苦肉の策もあるのでしょう。ですが、法律家としては、違憲の既成事実が積み重なっても違憲性が消えるわけではない、と言わざるを得ません。「自国防衛のため」に限るという弁明も、今日の戦争がほぼすべて「自国防衛のため」と称して行われる現実を見れば、十分な歯止めにはなりません。
「いつまで安保法制が違憲などと言っているんだ。もっと現実を見ろ」と言われてしまうかもしれません。ですが、自衛隊について政府が合憲としていたとしても、多くの憲法学者が違憲だと主張し続けることによって、政府に緊張感を与え、運用を抑制するという効果が生まれてきたのも事実です。同じように、存立危機事態の認定が安易になされないよう、法律家が違憲だと主張し続けることにも、十分な意味があると考えています。
基素.icon
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。