国共内戦
1920年代から敵対関係だった
中国国民党の方が全然強かった
日中戦争の間は「敵の敵は味方」で協力していたが、戦争終結後ドンパチを始めた その間に共産党は力を蓄えていた
アメリカの思惑
反共と旧満州の支配を固めたい
日本を抑えるために民主的な安定政権が欲しい
1946年1月 アメリカはジョージ・マーシャルを派遣して共産党を含めた連立政府を立てようとした
国民党軍は腐敗していたので統一できないと考えた
輸入超過で急激にインフレが進んで人心が離れた
共産党を排除するとすでに東北を占領しているソ連の共産党援助を誘発し、その結果国共の主導権争いが米ソ代理戦争の様相を呈して泥沼化するのではないか
1946年3月
党大会において国民党は共産党が提唱する「民主連合政府」の拒否と国民党の指導権の強化を決議
マーシャルは当時トルーマン大統領に、国共間の調停が絶望的であること、その多くの責任は蔣介石にあるとして非難している
12月 トルーマンは内戦からのアメリカ撤退を表明
国民党は国民党貨幣を大量発行してインフレが起きて民衆支持を失った
1950 共産党が中国本土を制圧