創作上のキャラクターを人間として扱う
キャラクターを扱うスタイルには大別して2つがあると思う
フィクション派:キャラクターは創作物であり、データであり、生き物ではない。現実のものでは決してない
実在派:キャラクターは存在すると信じている
感覚的には、これに近い人はあまりいないか、時間経過によってフィクション派に移動する
たまに起こる初期のVTuberの類型の議論も根底にこういう感覚がある人がいるかもしれないと思っている ほとんどの人はこの極端な立場の折衷をとっている
実在派の殆どは、キャラクターが本当に実在するとは信じていないだろう。しかしそれを人間であるかのように扱い、その世界観を大事にする
キャラクターが好きで人間に興味がない人は実在派の傾向があるかもしれない
私は他人より実在派だと思うことがよくある
2023/10/17ごろの事例
以下は複合問題なので単にこれというわけではない。むしろこの問題点を見出しているのはごく少数かもしれない。基素.iconは昔からこの違いを自覚することがあるから、根底にこの雰囲気を感じ取った
@3DVR3: Quest3の空間認識を活用した、美少女の人形と遊べる複合現実デモです!! Quest3の深度センサーで認識した部屋のソファに沿った動きをします!
かなり存在感が増します!
現在のVRゲーム開発者の方にもらいました!仕事が早い!笑
製品版をお楽しみに😎
※モデルは仮、機能も完全にデモ用です
動画は削除されているが、ソファに倒して胴体を引っ張ったりするカットがあった
当初の自分の感想
@motoso: VRで人形3Dモデルを雑に触ってる動画見ると特に何も問題ないけど嫌悪感を感じてしまうので自分のなんらかの価値観がある 存在しないキャラクターを存在すると思い込んで生きている
客観的事実としてはフィクションのキャラクターは基底現実に存在しないが、自分の中では基底現実に存在していると思い込んでいる。
これは、宗教や信念みたいなもの
案の定製作者らしき人から言及があった
その後動画は消えた
@motoso: ファンメイドモデルは二次創作だったりしてそこから暗黙の規約に従って配布されていたりするのを、二次創作の文化に疎い人が文脈がわからないので(暗黙のルールを破り)不適切な利用をしてしまうやつで、昔MMDでもこんなことがあったような @motoso: キャラクターやモデルは現実的にはただのデータであり、人格など存在しない。しかし作っている中の気持ちの中では人格が存在する。これは多分にステークホルダーごとの見方の違いが反映されるので一概に何とも言えないところに難しさがある ライセンスの難しさがありそう
@motoso: 創作物を出すときに規約を作るのが1番難しい気がするな。特にドライじゃない人ほど困難だと思う。 おそらく素人が規約を作った時に「まあこれぐらい常識でしょ」と思ったことは省略される
例えば「界隈の掟」を破る人はいないだろうと想像して作られる
自分の想像を超えた使い方をされて衝撃を受ける
@motoso: 自分が自分の創作物に持っている愛情や見方は他の誰にも理解されないと思う前提で取り組んでいないと他人に利用許諾を与えることはできないと思う。 連想
@motoso: Scrapboxの共同プロジェクトも似たようなところがある。そこに書いた文章は、誰でも編集できる。そこに書いた文章は、自分のものではなくなってしまう。 例:井戸端に書いた文章はいつでも変えられてしまうと思って書いている 実際に変更されたことがある
誤読される可能性は自分が一人で書くよりも多いため、文責を比較的持ちづらい
ミスターVRはフィクション派よりだと思う。少なくとも自分やりはそちらの傾向だろう。
上の件のキャラクターを「乱暴」に扱っているというう点は、「乱暴さ」を感じるかどうか自体が議論の的である
フィクション派に近い人は、ちっとも問題視しないか、本題ではないからいいと流すだろう
実在派に近くて分別がなければ怒ってしまうかもしれない
この感覚は微妙なものであり、おそらく同じものを見ている属性が似たような人でも意見が割れると思う
何が乱暴なのか?
2024-08-31時点では2023-10-17ごろの当時のツイートは削除されているので動画を見ることはできないが、2023/11/17に公開された以下の動画の冒頭15秒を見てどう思うかは資金関になるだろう https://www.youtube.com/watch?v=dbA54MexEE0
私の場合は1-2秒のカットに心理的抵抗を感じる(だからやめろという主張をするつもりはない)
こういうところから、フィクション派と感じるのである
Claude 3.5 Sonnet.icon
フィクションキャラクターを「実在派」と「フィクション派」に分類する考え方は非常に興味深いです。この二つの立場の違いは、単なる好みの問題ではなく、キャラクターとの関わり方や作品の楽しみ方に根本的な影響を与えます。
以下の点について、さらに掘り下げて考えてみましょう:
a) この二つの立場の中間的な態度はどのようなものでしょうか?多くの人々はおそらくこの中間に位置すると思われますが、その具体的な現れ方はどのようなものでしょうか。
b) この立場の違いが、ファンコミュニティ内での対立や摩擦を生む具体的な例はありますか?例えば、同人創作や二次創作の在り方について、どのような議論が起こりうるでしょうか。
c) キャラクターの「乱暴な扱い」に対する反応の違いは、単にフィクション派か実在派かという二項対立だけでなく、もっと複雑な要因が絡んでいる可能性があります。例えば、キャラクターへの愛着の度合い、作品の世界観への没入度、個人の道徳観などが影響しているかもしれません。これらの要因をどのように整理し、分析できるでしょうか。