共感という快感
演者への共感
ファン同士での共感
同じ時間を共有して、同じ出来事を体験するというコンテクストの共有
コンテクストの共有された人たちの間での会話は居心地がいい
ステートフルなので余分なメッセージングをしなくていい
人間はコンピュータほど愚直ではないので、ステートレスなメッセージングは苦手(トレーニングが必要)
一方で排他的になる傾向がある(古参のマウント)
例:知らないが故の過ちを過度に叩く
古参の気持ちを尊重する場合でも、最低限明文化しておく必要がある 知らないことについて怒られるのは誰しも不快である
コミュニティの存続には古参が新参をサポートするほうが望ましいので、僕は古参の方が我慢するべきという立場 そうでないコミュニティが長期的に成功する未来が見えない
ただし、いまだけ俺たちだけ楽しければいいというスタンスもそれはそれで合理的
自分の短期的な幸福の最大化の追求を行うということ
このような思考になるケースは
1. 長期的なエコシステムが続く確率がきわめて低いと考えている場合
大半のブームは一時的なもので文化にならないことを考えると、たいていのものをこう想定するのは合理的
2. 目先の利益を過大に見積もっている
単なる誤り
困難は、快感を阻害されるのは誰しもが嫌なこと
おおらかになるにはどうすればいいだろうか?
コメントは共感を促進するツール
通常の会話で知らない人と感情を共有できる機会は少ない
一方、ライブのチャットならそれをするのが普通のこと
現実のライブ会場でだれも声を出したり手を振ったりしなかったら快感はかなり減る(予想)
サイリウムを振るだけでも一体感が高まる
コールを入れるのも同様
一般化:一緒に同じことをすると共感性が高まる
運営の視点では、みんなで一つのことを取り組むことができるお約束を作るのが大事
みんなで好きを投げ合う
ライブ以外でも時刻同期的な共感ができる
共感が快感だというのは結構プリミティブな感情のような気もするが
現実世界だと、(自分は)他人に心から共感するより前に疑問を抱いてしまうことが多い
にじさんじにキャラクターとして共感することで、久しぶりに心からの共感を味わった