ニコニコ動画
動画コミュニティーサービス
@gweoipfsd: JASRACとの和解の裏話とか、ドワンゴの株価の暴騰は絶対インサイダーだったとか。この辺りは公では話してないはず。プライベートでは結構喋っているw そろそろ、ニコ動のビジネスモデルの設計についてはちゃんと書いてもいい気がする。断片的には書いているけど、まとめて説明はしてないはず。…
@gweoipfsd: 次にニコ動の切断からの復活については何度もしゃべっているので、今まで言ってないことで改めて書くとすると、実はニコ動復活の基本戦略に、ニコニコを宗教化する。アップルユーザーみたいにするということがあったということを中心に書く感じかな。宗教化するためにどんな手を打ったか。 @gweoipfsd: 運営視点のニコニコ動画がヒットした経緯について、思い出したので忘れないうちにこの機会に書いておく。多分。長文 最初のきっかけは2007年正月明けに、ひろゆきが投稿した10秒もない短い動画だ。なんか確か夕刊フジかなんかにひろゆきがクルマを差し押さえられたとかいう記事が載って?ひろゆきがクルマなんか持ってないよと、冗談で差し押さえられましたってミニカーを撮影した動画をあげた。今思うと、クソつまんない動画だったが差し押さえられたというタイトルだけ面白くて、確か7万再生ぐらいされた。これは当時のニコニコ動画では新記録だった。確か1万再生とか、ほぼなかったと思う。 その日からアクセスが急増した。
毎日、倍増みたいな日が数日続いた。当時、ニコ動が大人気みたいな記事の取材を受けたときにインタビューを受けた数日後ぐらいに記事内容に間違いないか確認チェックがきた。
サイトの1日あたりのPV数について、すみません、今はもう倍以上になっていますとか答えた記憶がある。
さて、1月のサイトの爆発とそれを伝える報道を見て、事件が起こった。
ニコ動と2ちゃんねるとはユーザー層が地続きであると一部の世の中で見られている向きがあるが、運営視点ではちょっと違う。
ニコニコ動画(仮)が2006年12月にオープンして、ひろゆきが管理人ということですぐにVIPPERと呼ばれる2ちゃんねるのコアユーザーたちが来襲した。彼らは1週間ぐらいニコニコ動画を散々荒らして帰って行った。 なんて役に立たない迷惑な奴らだと思った。
後には過疎ったニコニコ動画が残った。そして前述の通りに年明けでニコニコ動画のブームが起こる。確かITmediaの記事でニコニコ動画が話題になっていることを知ったVIPPERたちが、ニコニコ動画?確かあそこは我々の植民地のはず、とばかりに、いきなり所有権を主張してニコニコ動画に我が物顔で戻ってきたのだ。
実はアクセス解析するとニコニコ動画のブームの牽引役となったのはネット初心者ユーザーだった。検索エンジンはGoogleじゃなくYahooユーザばっかりだった。あとmixiユーザーも非常に多かった。しかし、一番多かったのは、ネットサービスはニコニコ動画以外は使ってないというユーザーだった。
実際、僕が社外で初めてニコニコユーザーにあったのはウェブ業界の知り合いではなかった。とにかくクッソ面白いサイトがあると、僕にニコニコ動画を教えてくれたのは、当時、ドワンゴの筆頭株主だったエイベックスの社員だった。ニコニコ動画は本当に流行ると僕が確信したのはそのときだ。 なんだけど、ひろゆきが管理人であり広告塔であったため、ネット初心者が盛り上げたニコニコ動画を、自分たちのサイトだとネットのコアユーザーであるVIPPERのような人たちが錯覚する二重構造がニコニコ動画がスタートして2ヶ月後には誕生していた。
これはニコニコ動画のその後の文化形成に非常に大きな影響を与えた。多分、ほとんどのネットのコアユーザは、この二重構造には第一回超会議まで全く気づいてなかったと思う。そして超会議後も信じないユーザーの方が多数派だったと思う。
さて、2007年1月のニコ動の爆発で最初に発生したブームが合唱だ。毎晩、レミオロメンの粉雪をニコニコ動画でコメントで歌うユーザーが現れた。 合唱は粉雪から、今度は、他のいろんなアニメの曲に飛び火した。これはVIPPERの再流入の影響だと思う。
そして本当にニコニコ動画は社会現象のように話題になったのがニコニコ動画3ヶ月目の運命の2007年2月だ。
2007年の2月のたった1ヶ月間で、ニコニコ動画が社会現象になり、そして突然消滅するという事件が起こり、これがその後の神話を生むことになる。
エイベックスの社員にニコニコ動画というサイトを僕が教えてもらったのもこの頃だ。
Youtubeのトラフィックの半分以上がニコニコ動画経由になったという噂がネットに流れ始めた。
この頃、ニコニコ動画のランキングトップ20位ぐらいまでが、ほぼ、そのままYoutubeの世界ランキング20位を占めるという現象が起こり始める。Youtubeの世界ランキング上位は、よくわからない日本のアニメ絵の動画で、いや、動画というか、下手すると静止画一枚に音楽がついているだけのもので、動画説明文には、「ニコニコ動画保存用」としか書いてないものばかりに埋め尽くされた。当時のニコニコ動画はYoutubeの動画の上にコメントを載せるサービスだったので、ニコニコユーザーはYoutubeをニコニコ動画に投稿する動画の保管場所ぐらいにしか思ってなかったのだ。そして一体何が起こったんだと、怒って騒ぎ始めた外国のYoutubeユーザーが日本のニコニコ動画を発見して、襲撃してくるという事件が発生する。 彼らは英語でコメントを荒らし始めた。ニコニコユーザーも応戦し、コメントの量で彼らを圧倒して、英語の嵐コメントを消すという戦いが始まった。もちろんニコニコユーザーの圧勝だった。
僕は当時、夜中に、まだ、嵐コメントが残っている動画で、一生懸命、新しく日本語のコメントを付け直している一人のユーザーとコメントで会話した記憶がある。
なんとか撃退しましたと、誇らしげに報告してくれるユーザーの姿を見て、いや、このままでは済まないよね、と、その時、思った。
これは近いうちにYoutubeに切断されると予感して、翌日からYoutube切断後の回線確保に走り回り始めた。
しかし、予想通り、すぐにニコ動へのDDoS攻撃が始まる。これは怒った海外Youtubeユーザーのものだろうと思っていたが、実はほぼ同時にYoutubeからニコ動が切断されていたことが判明する。
日本のネットでニコニコ動画のブームが強制終了になったとみんなが思った瞬間だ。
楽しかったよね。長くは続くわけないと思っていたけど、予想より早く終わったよね。そんな声がネットに溢れた時に、ニコ動を自前の動画サイトとして再開する経営判断がドワンゴで承認される。
僕が当時の小林社長に絶対に成功させるから10億用意してくれと頼んだ。小林社長は10億じゃ済まないと思って20億をこっそり用意してくれた。これ、失敗したらドワンゴは潰れるね、と二人で笑った。そして実際は40億かかった。 ここすき基素.icon
ニコニコ動画(γ)のスタートだ。実際のところニコニコ動画の本当の歴史は、Youtubeの切断後の復活から始まることになる。
とりあえず、今日はここまで。
なんか、書いているうちに思い出したけど、似たような文章を運営ブログで大昔に年末だか、年始だかに書いた記憶がある。ちなみに確かニコニコ動画の最初の2年ぐらいは運営ブログもプレスリリースも、ほぼ一字一句、全て僕が書いていた。
youtube切断後のニコニコ動画復活の話。
記憶に頼って書いてるので間違いはあるかもしれない。
youtube切断によるサービス終了から1週間でニコニコ動画は復活することになる。この1週間の間で新しいニコニコ動画の仕様、コンセプト、プロモーション方針に関わる重要方針がほとんど決定されることになる。
めちゃくちゃたくさんのことを決断しなくてはいけず、しかも、振り返ってみても、ほとんどの決断が正解だった人生の中でも神がかった1週間だった。
まあ、でもここは結構、部分的にはあちこちで喋っているよね。喋ってないことでいうと、ニコニコ動画の隠れたプロモーション戦略である宗教化についてだ。 元々、ニコニコ動画(仮)とは文字通り”仮”であり、テストマーケティングを兼ねたサービスでドワンゴが運営していることも伏せていた。うまくいきそうだったら、実はドワンゴが作った初めてのWebサービスですということで、名称もかっこいい名前に変えて、改めて世の中にお披露目をしてサービス開始する予定だった。なので、僕らもユーザーも名称変更の時に気兼ねなく捨てられるように、できるだけカッコ悪くてひどい名前をつけて愛着が湧かないようにしようということで決めたのが「ニコニコ動画」というふざけた名前だ。ところがニコニコ動画は、ほとんど瞬間で大ヒットしてしまったので、名称変更のタイミングを失ってしまった。なんなら、我々もユーザーも愛着の湧かないはずの、このひどい名前が好きになりかけていた。誤算だった。
これはもうニコニコ動画というブランドで突っ走るしかない。この名前も最初から計算でした、世の中のカッコつけた名前ばかりのWebサービスに対する皮肉でありアンチテーゼだった、ということにしよう、ということで、ニコニコ動画(γ)という名称も決まった。
そう、本当はネットサービスにありがちな、例えば「Google」みたいな、よくある、なんか気の利いたかっこいいサービス名にうちらもしようぜ、みたいな気持ちだったのだ。最初は。
でも、しょうがない。こうなったらGoogleやGoogle崇拝の価値観に支配されている日本のネット業界、全てに喧嘩を売って馬鹿にしてせせら笑う新しい価値観。そういうポジショニングを取るしか、ニコニコ動画という根本的に間違っているブランディングの説明はつかない、そう思った。 本当はそんな気取ったWebサービスの一員に入れてもらうつもりだったんだけどね。最初は。
全てニコニコ動画という名前のせいだ。
半分ヤケクソなのだがニコニコ動画を神格化する=宗教化することをプロモーションの基本戦略にすることにした。
宗教化のモデルとして当時考えていたのは二つだ。小泉純一郎の「劇場型政治」とジョブズが作ったアップル信者だ。ニコニコは「劇場型ウェブサービス」にするという社内向けのキャッチフレーズを作った。僕は結構スタッフにサービスのコンセプトを共有してもらうための社内限りのキャッチフレーズをよく作る。当時のニコニコでは「劇場型ウェブサービス」のほかに、「Google機械帝国への人類最後の反乱」とかいうのもあった。ほかにもあったと思うけど、もう、だいぶ忘れた。 IT企業の中ではユーザーが信者化しているのはアップルだけだなと前から思っていて、同じことってできないかというのは、僕の長年のテーマだった。ニコニコがYoutubeに切断された時に、今だったら、宗教化はできるんじゃないかと思った。
条件がいくつか揃っていたからだ。次の3つだ。
・ 神話のベースとなるストーリーの存在。
・ 運営対ユーザーの関係において、商品=アクセス権の提供が品薄にできる状況があった。
・ 当時のニコニコへのメディアの圧倒的な関心の高さ
順に説明する。
1ヶ月足らずで日本の主要ネットサービスの一つぐらいにまでユーザーが爆発的に拡大し、そしてYoutubeに切断されたサービスを終了したニコニコ動画。それがユーザがいったんゼロになった困難の中からサービスを作り直して、再度、Youtubeに挑むというのは物語として、すでに完成度が高い。しかも実際に事実だ。そしてこの物語には神話に、とても重要な信者の迫害と苦難の歴史が、すでに織り込まれている。
そしてニコニコ動画にアクセスしたい潜在的なユーザーは日本に数百万人単位でいることが予想された。しかし、僕らは自前の回線では、せいぜい当面は10万人程度にしかサービスの提供が不可能だった。商売において信者を作るには商品が不足していて入手が難しいことが不可欠だ。要するに品薄商法が大事だ。ラーメン屋でもハイブランドでもアーティストのライブチケットでも、みんな意識的に品薄商法は行なっている。しかし、ネットサービスにおいてはアクセスしてサービスができないとユーザーがいなくなるだけなので、品薄商法が基本的には成立しない。ところが当時のニコニコ動画については例外的に本当に回線が足らなかったので、品薄商法をせざるを得ない状況があったのだ。そして動画にコメントできるサービスなんてニコニコ動画しか無かった。
そして最後に圧倒的なメディアの関心があったことだ。僕はサラリーマン時代から新規事業の立ち上げをやり続けてきて、ずっとプレスリリースを書き続けてきた。今でもチェックはすることが多い。で、プレスリリースについて強く思ってることが2つあって、一つはいくら一生懸命書いても記事にしてもらえるのはほんの僅かであるということと、もう一つはライバル企業はプレスリリースが記事になるとチェックするので真似をされることが多い、ということだ。
着メロ事業を始めたあたりから、ネットサービスはユーザに対してはサイトで情報提供すれば十分じゃんと気がついて、本当に重要な新サービスはプレスリリースを打たないでサイトで黙って告知する。プレスリリースするのは重要そうに世間=メディア的には見えるけど、ビジネス的にはそれほど重要ではなく、ライバル企業に真似されても構わないもの、なんならライバルが勘違いして真似してくれると向こうのリソースが無駄になってラッキー、みたいなものという使い分けをするようになった。 これがニコニコ動画がネットで社会現象みたいになると勝手が違ってきた。プレスリリース打たないでサイトだけで告知したことがどんどんメディアに拾われてニュースとして報道されるようになったのだ。これ、どうやったらメディアに報道されないですむか色々試行錯誤したんだけど、結論だけ覚えている。本当に世の中で話題になっているときは、報道されないように何をやっても無駄で、どうせ報道されてしまう、ということだ。 逆にこのメディアの注目を使えば、うまく僕らが出す情報をコントロールしてブランディングが可能になるだろうと思った。情報コントロールというのはブランディングの基本だ。アーティストとかは写真一つであっても世の中に出すものを制限する。自分が出したいイメージの写真しか世の中には露出させない。そうやってブランディングはやっていくものだ。 というわけで、おそらく今のニコニコ動画であれば、ニコニコ動画を宗教にして、ユーザーを信者にすることができるだろう。2007年3月にサービスを再開する時に、ニコニコ動画を宗教にして、再度、信者の集団を作って、そのエネルギーを原動力として、Youtubeと勝負をするという基本方針が決まった。
長くなったから、実際にどういうことをやったかは次のポストで。
https://www.youtube.com/watch?v=ErmLf9Qj3QQ
https://www.youtube.com/watch?v=qDTWdmVMyNo
https://www.youtube.com/watch?v=rqeVRy7Hsx4
https://www.youtube.com/watch?v=1PA3_d_ILxM