人間信仰の終わり
人間信仰は終わりをなん度も乗り越えてきたし、終わらない。 GPT-4をみていると、人間の知性なるものが模倣される日も近いのでは?と感じる ある部分では知的な人間はもう凌駕されている
人間の一側面に過ぎないが
自分の行動に未知なことがなくなっていくと、つまらなくなるような気がする。決定論的な感じだからだ。しかし、実際には多分面白さはかなりあるはず(直感)
これ自体は昔からよくあること
科学が発展してかつて宗教が説明していたことが理屈で説明できるようになった
職能のジャンルでは常に起こり続けている
カメラが出たら写実的に絵を描くことの価値は下がった。写実じゃないところに戦場は移った
昔のスキルセットのままずっとできる仕事はないだろう
ほかにも、人生が面白くなくなる気づきはいくらでもある
例えば教育格差で最初から有利な人とはかけ離れたゲームをしている それでも楽しみは存在している。楽しさは主観的な体験だから、完全に決定的だとしても面白さは消えない。
決定的だから何をしてもいいという自暴自棄になるならそれは良くないだろう
そういう問題が起こったら、生きる意味はその時に再構築されるだろう
AGIが出ても、AIにできないことはたくさんある。電子工作とか。 AIに全て取って代わられたとしても(生きられなくなるなら別だが)、自分の楽しみが消えることはないだろう。
ご飯が美味しいとか、エンタメが楽しいとか
人類は車が出てもオリンピックをやっている
心がわかつものだとしている
創作を自分の楽しみとしてみた時には私もそう思う。しかし他人から見た時の心のような振る舞いはおそらくできるんじゃないかと思う。10年以内はむずかしかろうけど。