三宅一生
三宅一生(Issey Miyake)さんは、着心地の良いアバンギャルドなデザインでフランス・パリのファッション界に一石を投じた。 生前の三宅さんは、広島で原爆投下という恐怖を体験したことが「美しさや喜び」をもたらす洋服作りの原動力になったと語っていた。
「目を閉じれば、誰もが決して経験すべきではないもの──赤い閃光(せんこう)、直後の黒い雲、必死に逃げようとあらゆる方向に走る人々がいまだに見える」とつづった。「全て覚えている。被曝した母は、3年もたたずに亡くなった」
被爆の影響で、生涯にわたり足を引きずることになったが、自身のトラウマについて話すことはまれだった
三宅さんは、高田賢三(Kenzo Takada)さん、森英恵(Hanae Mori)さんらの先人を追い掛け 1970年代半ばに川久保玲(Rei Kawakubo)さん、山本耀司(Yohji Yamamoto)さんらと共にパリで一躍成功した若手日本人デザイナーの一人となった。 自身の名前を冠したブランド「イッセイミヤケ」の「プリーツプリーズ(Pleats Please)」シリーズでは、パーマネントプリーツ加工が施され、しわにならない洋服を開発した。 近未来的な三角形から成る「バオバオ(Bao Bao)」シリーズのバッグは、シックな衣装を引き立たせると好評を博し、多数のコピー商品が出回るほどだった。
学生運動に端を発した68年の「五月革命」にも影響を受けたという。 2016年の米CNNのインタビューで三宅さんは、抗議デモがパリをのみ込むのを目の当たりにし、「世界は一握りのためのオートクチュールの需要を離れ、ジーンズやTシャツなど、シンプルでより万能な要素に向かっている」と気付いたと語った。
「服とは、着た人がその人らしい生活をするためのもの」を持論に、デザインに服は欠かせない分野だと考えていたからだ。美と楽しさ、快適さを兼ね備えた「用の美」の追求であるべきだとの信念もあった。