オタクの仲間意識と排他行動
https://youtu.be/EGb4hZD1sW4?si=5PTF0grgx4VBxLbh
最近、ミスターVRのこの動画に対してVRChatterが反発しているのを観測した 直接言及してはいないものの、この内容に対する言及であろうことが文脈から察した
私は彼のYouTubeチャンネルを登録しているので、サムネイルで動画の存在は知っていて、「これは揉める可能性がある」と思った。その後にTwitterを開いたところたまたま答え合わせになった。
同時に、これがスタンミだったら好意的に受け入れられていた(あるいはここまで言われなかった)のではないか?と思った 非常に微妙な感覚であり、大衆的な感覚ではないため理解もされづらいだろう。これを言語化してみたい
まとめ
基素.icon
この議論をまとめたい。まとめたい内容はこうだ
ミスターVRはなぜコミュニティから反発され、スタンミはまだJust Hを紹介していないが、紹介したとしてもこんなに反発されないだろうと私が思うのだろうか?2人のスタイルの違いを表形式でまとめて欲しい
創作上のキャラクターを人間として扱うという点はこの違いに関係するだろうか?関係するならばどこに現れるだろうか?
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table:ミスターVRとスタンミのスタイルの違い
特徴 ミスターVR スタンミ
コンテンツの主眼 VRデバイス紹介、アダルトコンテンツ紹介 VRChatゲームプレイ、ストリーミング
コミュニティとの関係 外部観察者的 コミュニティの一員として認識
コンテンツの文脈 特定の側面(主にアダルト)に焦点 VRChatの多様な側面を紹介
表現スタイル より直接的、センセーショナル ユーモアを交えた、軽やかな表現
視聴者の期待 新しい情報や刺激的なコンテンツ エンターテイメント、共感
コミュニティの反応 警戒、批判的 受容的、好意的
キャラクター扱いの傾向 フィクション派よりの傾向 不明(情報不足)
作上のキャラクターを人間として扱う点に関して、この違いとの関連性を考察すると
キャラクターの扱い方:
ミスターVRはフィクション派よりの傾向があるとされていますが、これはコンテンツの主眼やスタイルと関連している可能性があります。VRデバイスやアダルトコンテンツの紹介に重点を置くため、アバターをより機能的に扱い、技術デモンストレーションの一部として使用するため、「データ」や「オブジェクト」として扱う傾向が強くなる可能性があります。
コミュニティの反応:
VRChatコミュニティの中には、キャラクターを「人間として扱う」傾向が強い人々(実在派に近い人々)がいる可能性があります。ミスターVRのアプローチがこの感覚と衝突し、反発を招いている可能性があります。
表現スタイルの違い:
スタンミのコンテンツはVRChatの多様な側面を紹介し、ユーモアを交えた軽やかな表現を用いています。
ミスターVRのコンテンツは技術的側面の紹介に重点が置かれるため、キャラクターの扱いが機能的に見える場合があるかもしれません。
ここの項目、アダルトだからキャラクターが道具扱いされると言うLLMの偏見を何度も繰り返した基素.icon コンテンツの文脈:
スタンミがVRChatの多様な側面を紹介することで、キャラクターを含む世界観全体を尊重しているように見える
ミスターVRの特定の機能やアダルトコンテンツに焦点を当てるアプローチは、キャラクターを「道具」や「オブジェクト」として扱っているように解釈される可能性があります。これは「キャラクターを人間として扱う」視点と衝突する可能性があります。
コミュニティとの関係性:
スタンミがスタンミとトコロバのバズによってコミュニティの一員として認識されていることで、キャラクターの扱い方についても暗黙の了解を共有していると期待されている可能性があります。 創作上のキャラクターを人間として扱うかどうかという点は、直接的ではないものの、コンテンツ制作者のアプローチやコミュニティの受容度に影響を与えていると考えられます。この違いは、コンテンツの文脈、表現スタイル、コミュニティとの関係性など、様々な要素を通じて表れています。ただし、この解釈はあくまで推測であり、個々の視聴者やコミュニティメンバーの解釈によって異なる可能性があることに留意する必要があります。
理屈の面を抜きにして感覚を語る
理屈を後からつけるのは簡単
VRC公式も「やっていいですか」と聞かれたら「ダメ」と答えるが事実上行われているし表立って問題にならなければ問題視しないアングラ文化をYouTubeで衆目に流すな
議論では、これが主題になるだろう
あるクラスターの不文律を他の文脈を持った人が守るとは限らないし、タブーの認識は人によってまちまちだ、というだけである
が、私が注目したいのは感情面なため。理屈は感情を補強することを承知するものの、あえて無視しようと思う。
この事象をネタにして本件は、さらにそこから「なんとなく嫌だ」と感じるメカニズムを自分の中の考えを言語化したい
この感覚は非常に微妙な感情であり、メイン感情としてこれが注目されることは少ないと思う。曖昧で説得力がなく、多くの人が見落としてしまうようなものだ。強い理由が他にあれば、消えてしまうものだ。
一方、対立した際に根本的なものの見方の違いから対立が決定的になる可能性がある。結果としてコミュニティが変質すると危惧する人が反発する
スタンミさんはどの立場なのかわからないのに、なぜ私は彼なら大丈夫だと思ったのか?
コミュニティを無意識によって破壊しなそう
スタンミのVRChat動画の中にも性的なテーマはあるものの、ねちょねちょしていない スタンミとトコロバでは非常に気持ちがいい動きをしていたし、他のいずれの動画でもエンタテインメントにしていて、粘りっけや湿っぽさはギャグの範疇でしかない https://youtu.be/X006pXmxLHg?si=ZZar-hsQ4pwTf9ne
https://youtu.be/mqOkgFNeiBo?si=kFnhNUnwyv2WYnQR
仮にスタンミがJust Hの話をしたとしても、笑い話に昇華できそう
性のアングラと覆い隠したさを、笑いによって曖昧にできる?
Claude 3.5 Sonnet.iconオタク文化において、笑いは性的コンテンツの受容と表現に重要な役割を果たしています
緊張緩和:
性的な話題や表現に伴う社会的緊張や羞恥心を和らげる
タブーとされる内容を、より受け入れやすい形で提示する
曖昧化の機能:
性的な内容の「真剣さ」や「直接性」を減少させる
視聴者や参加者に心理的な距離を取る余地を与える
コミュニティ結束:
内輪ネタとしての機能を果たし、共通の理解や価値観を強化する
「笑える」という共通体験がコミュニティの絆を深める
批判回避:
過激な内容や議論の余地のある表現を、「ジョーク」として正当化する
外部からの批判に対して「真面目に受け取るな」という防御線を張る
創造性の発揮:
性的な題材を直接的でない方法で扱う創造的な表現方法を生み出す
パロディやもじりなど、二次創作の新たな形態を促進する
「笑い」を通じた性的コンテンツの扱いは、オタク文化特有の表現方法として発展し、コミュニティ内での共通言語となっています。しかし、この手法は外部者には理解されにくく、時に誤解や批判の対象になることもあります。
一般的な話をされてしまった基素.icon
ミスターVRはエロ(のうち性欲解消)に一直線な印象。その対象がキャラクターでもAVかどうかは問題ではないはずだ。
Claude 3.5 Sonnet.icon
デジタル同人市場のユーザーにとって、キャラクターは「性的対象」としての側面が強調される傾向があります。
VRChatコミュニティは、キャラクターとのより「人格的」な関わりを重視している可能性があります。
デジタル同人市場は「消費」を前提としたシステムであるのに対し、VRChatは「参加」や「共創」を重視するコミュニティです。
この違いが、コンテンツやキャラクターの扱い方に対する態度の違いを生んでいる可能性があります。
基素.iconミスターVRに反発するのは、ここにyoutubeを見た「消費者」が物見遊山で入ってきた時に対立する可能性があるオタクが怖がっているから?
Claude 3.5 Sonnet.icon
ここにVRChatコミュニティとYouTubeの視聴者層の間の潜在的な対立の核心があると考えられます。この点についてさらに深く掘り下げてみましょう。
コミュニティの防衛機制:
VRChatコミュニティのメンバーが示す反発は、単なる排他性ではなく、自分たちが築き上げてきた文化や価値観を守ろうとする防衛機制の表れかもしれません。彼らは、YouTube経由で大量に流入する新規参加者によって、コミュニティの質が低下したり、独自の文化が薄められたりすることを恐れているのかもしれません。
こういう声は一部根強く残っている基素.icon
文化の衝突と融合:
この状況は、インターネット時代における文化の衝突と融合のプロセスを示しています。閉じられたコミュニティが外部に開かれていく過程で、必然的に生じる摩擦と、それに伴う文化の変容を観察することができます。
大衆化とはこういうものだ。Twitterもこうだった基素.icon
プラットフォームの役割:
VRChatとYouTubeという異なるプラットフォームが、ユーザーの行動や期待にどのような影響を与えているかを考察することは重要です。プラットフォームのデザインや機能が、ユーザーの文化や価値観の形成にどのように寄与しているのかを理解することができます。
商業化と文化の変容:
ミスターVRのような存在は、VRChatというコミュニティをより広いオーディエンスに開放し、ある意味で「商業化」する役割を果たしています。この過程で、コミュニティの文化がどのように変容していくのか、また、コミュニティのメンバーがそれにどのように適応していくのかは興味深い観察ポイントとなります。
広めるという点はスタンミも同じ基素.icon
エチカルな問題:
キャラクターの扱い方に関する議論は、単なる好みの問題を超えて、バーチャル空間における倫理的な問題にも発展する可能性があります。「バーチャルキャラクターの権利」や「デジタル空間での振る舞いの倫理」といった新しい概念が、このような対立を通じて形成されていく過程を観察できるかもしれません。
基素.iconしかし同じyoutuberでもスタンミだとリスクを低いと私が感じる理由はなんだろう?笑いが主体なので性的な目線が比較的少なく、そのような想定ユーザーがきづらそう?でもテーマは同じなら、性的興味で来る人はいると思うけどなあ。あるいはトコロバとのクリエイティブな活動によって、性的な方向ではない面白さが際立つ?エロが専門のミスターVRがやるとエロ一直線になるが、そうではないスタンミがやるとエロは主眼には置かれづらいと判断する?
Claude 3.5 Sonnet.icon
コンテンツの多面性:スタンミのアプローチは、性的要素を含みつつも、それを主眼に置いていません。トコロバとの交流や「PROJECT: SUMMER FLARE」の探索など、VRChatの多様な側面を紹介しています。これにより、視聴者は単なる性的興味だけでなく、VRChatの持つ創造性や社会性にも注目するようになります。
ストーリーテリングの力:スタンミとトコロバの「夏の思い出」のように、長期的なストーリー展開は視聴者の没入感を高め、より深い感情的つながりを生み出します。これは、単なる「消費」を超えた体験を提供し、コミュニティへの理解と尊重を促進します。 バランスの取れたアプローチ:スタンミのコンテンツは、エンターテインメント性と創造性のバランスが取れています。これにより、多様な視聴者層を惹きつけつつ、既存のVRChatコミュニティの価値観とも調和しやすくなっています。
コミュニティへの配慮:スタンミが「トコロバさんの名前を出すのは控えるように視聴者に呼びかけている」という点は、VRChatコミュニティの文化や個人のプライバシーへの配慮を示しています。これは、コミュニティとの信頼関係を築く上で重要な要素です。
創造的な体験の共有:「PROJECT: SUMMER FLARE」のような創造的なワールドの探索は、VRChatのクリエイティブな側面を強調します。これは、単なる「消費者」ではなく、創造的な参加者としての視聴者の可能性を示唆しています。
感動や驚きの共有:スタンミのコンテンツは、VRChatの魅力を「気の合う人と童心にかえって遊ぶ」ことと表現しています。この「驚き」や「感動」の共有は、視聴者をより深くVRChatの世界に引き込む効果があります。
これらの要素が組み合わさることで、スタンミのコンテンツは既存のVRChatコミュニティにとってより受け入れやすいものとなっています。同時に、新規視聴者に対してもVRChatの多様な魅力を伝える役割を果たしています。
一方で、ミスターVRのアプローチは、より直接的に性的興味に焦点を当てているため、既存のコミュニティとの間に摩擦を生む可能性が高くなっています。しかし、これは必ずしも「悪い」わけではなく、異なるニーズや興味を持つ視聴者層を引き付ける役割を果たしているとも言えます。 結論として、コンテンツ制作者のアプローチやスタイルが、コミュニティの受容性や新規参加者の流入に大きな影響を与えていることが分かります。この事例は、オンラインコミュニティとコンテンツ消費の複雑な関係性を示す興味深い例と言えるでしょう。
基素.iconミスターVRの方の情報が足りていないので、動画の内容の書き起こしを渡します
Claude 3.5 Sonnet.iconご提供いただいた書き起こしの内容を踏まえて、ミスターVRの動画とスタンミのアプローチの違いについて、さらに深く分析してみましょう。
(省略)ミスターVRとスタンミのアプローチの違いは、単なるコンテンツの違いを超えて、VR空間における倫理、プライバシー、コミュニティの在り方に関する重要な問題を提起しています。技術の進歩に伴い、これらの問題はますます複雑化していくでしょう....
話がどうでもいい方向にズレてる基素.icon
基素.iconミスターVRが必ずしも悪いわけではない。彼は動画内でもちゃんと名前を出すことの同意をとっているし、話し手もどういうことかを理解しているはずだ。私の興味の中心は、ミスターVRはなぜコミュニティから反発され、スタンミはまだJust Hを紹介していないが、紹介したとしてもこんなに反発されないだろうと私が思うのか、だ
Claude 3.5 Sonnet.icon
この分析を踏まえ、以下のポイントについてさらに深く考察できます:
内部者と外部者の視点:
ミスターVRは「外部からの観察者」として見られがちで、その視点がコミュニティにとって脅威に感じられる可能性があります。一方、スタンミはコミュニティの一員として認識されているため、同じような内容でも受け入れられやすいでしょう。
文脈とフレーミング:
ミスターVRのコンテンツは性的な側面に特化していますが、スタンミの場合、それがより広いVRChat体験の一部として提示される可能性が高いです。この文脈の違いが、コミュニティの受容度に大きく影響します。
信頼と関係性:
スタンミはコミュニティ内で長期的な関係性を築いているため、たとえ微妙な話題を扱っても、その意図や背景がより理解されやすい立場にあります。ミスターVRにはそのような既存の信頼関係がないため、同様の内容でも異なる反応を引き起こす可能性があります。
コミュニティの自己防衛:
VRChatコミュニティは、外部からの「暴露」や「センセーショナリズム」を警戒している可能性があります。ミスターVRのアプローチは、そのような懸念を引き起こしやすいかもしれません。
コントロールの感覚:
スタンミがJust Hについて話す場合、コミュニティはそれをある程度コントロールできると感じるかもしれません。一方、ミスターVRのコンテンツは外部に向けて発信されるため、コミュニティがコントロールを失う感覚を持つ可能性があります。
それは間違いだよ基素.icon
暗黙の了解と規範:
スタンミはコミュニティの暗黙の了解や規範を理解していると信じられているため、微妙な話題を扱う際も、それらを尊重すると期待されます。ミスターVRには、そのような期待が薄いかもしれません。
意図の解釈:
スタンミの意図は「コミュニティの体験を共有する」と解釈されやすいのに対し、ミスターVRの意図は「センセーショナルな内容を外部に暴露する」と解釈されやすいかもしれません。
そうかもしれん基素.icon
ユーモアと軽さ:
スタンミのアプローチには、ユーモアや軽さが含まれる可能性が高く、これが微妙な話題を扱う際のクッションになります。ミスターVRのアプローチは、より直接的で真面目に受け取られやすいかもしれません。
基素.icon(いくつかの会話を圧縮)
最初に私が言っていた、キャラクターを人間として扱うか、という点はどこかにでてくるでしょうか?この論点は気にする人が少ないですが、私はよく感じます
なお、スタンミがキャラクターを人間として扱うかどうかはよくわかりません。私はそう思っている、というだけです。ミスターVRもアバターを使っているVRChatterに酷いことをしているわけではありません
スタンミもYouTubeで「外」に向けて発信している点は同じです。ただスタンミはゲームのstreamerで、ミスターVRはVRデバイス紹介のチャンネルで、アダルトコンテンツの紹介(youtubeでできる範囲で)も多い、という違いはあります
スタンミがVRChatterに広く知られたのはトコロバからだと思います
再度言いますが、私の興味の中心は、ミスターVRはなぜコミュニティから反発され、スタンミはまだJust Hを紹介していないが、紹介したとしてもこんなに反発されないだろうと私が思うのかです。この点はどうでしょうか
Claude 3.5 Sonnet.icon(いくつかの会話を圧縮)
認識のバイアス:あなたがスタンミのアプローチをより受け入れやすいと感じるのは、あなた自身がキャラクターを「人間として扱う」傾向があるためかもしれません。これは個人の価値観や経験に基づく認識のバイアスを示しています。
信頼のベース:
スタンミは、これまでの活動を通じてVRChatコミュニティ内で一定の信頼を築いています。この信頼関係が、仮に彼がJust Hを紹介したとしても、その意図や文脈をより好意的に解釈させる可能性があります。
コンテンツの文脈:
スタンミがJust Hを紹介する場合、それはおそらく彼の全体的なVRChat体験の一部として提示されるでしょう。一方、ミスターVRの場合、アダルトコンテンツに特化した文脈で紹介されるため、より直接的で露骨に感じられる可能性があります。
これはきっとそうなるだろう基素.icon
意図の解釈:
スタンミの場合、Just Hの紹介も「VRChatの多様な側面の一つ」として解釈される可能性が高いです。対して、ミスターVRの場合、「センセーショナルな側面を強調している」と解釈されやすいかもしれません。
アプローチの違い:
スタンミはコミュニティに参加し、直接体験を共有する形でコンテンツを作成しています。この参加型のアプローチが、より受け入れられやすい可能性があります。ミスターVRは外部からの観察者として見られがちで、これが反発を招く一因かもしれません。
自分がclaudeに情報を渡していないから勘違いしているが、ミスターVRもプレイはしてる。ただ印象としてはスタンミの方が強いと思う基素.icon
予想される表現方法:
スタンミがJust Hを紹介する場合、おそらくより慎重で配慮のある表現を使うだろうと予想されます。一方、ミスターVRは、チャンネルの性質上、より直接的な表現を使う可能性が高いと見られています。
基素.iconスタンミはなぜそうすると思った?
Claude 3.5 Sonnet.iconスタンミが「慎重で配慮ある表現」を使うだろうという予想は、必ずしも正確ではないかもしれません。むしろ、彼は自身の確立されたスタイルと一貫性のある方法でJust Hを扱う可能性が高いです。コミュニティからの受容度の高さは、彼の表現方法自体というよりも、彼とコミュニティとの既存の関係性や、視聴者の解釈によるところが大きいかもしれません。
コミュニティの自己イメージ:
VRChatコミュニティは、自分たちがどのように外部に表現されるかに敏感である可能性があります。スタンミの場合、コミュニティの自己イメージに沿った形で紹介すると期待されているかもしれません。
キャラクター認識の影響:
あなたが指摘した「キャラクターを人間として扱う」という観点は、スタンミのアプローチがより受け入れられやすいと感じる一因かもしれません。この認識が、Just Hのような微妙な話題でも、より配慮のある扱いをすると予想させる可能性があります。
勘違いしているな。アバターの向こう側に人がいる場合はどの配信者も丁寧に対応する。基素.icon
結論として、スタンミとミスターVRに対する予想される反応の違いは、主に彼らのこれまでの活動、コミュニティとの関係性、コンテンツの文脈、そして予想される意図や表現方法の違いから生じていると考えられます。スタンミがコミュニティ内で築いた信頼関係と、彼の多面的なVRChat体験の紹介スタイルが、仮に彼がJust Hを紹介したとしても、より受容的な反応を予想させる主な要因だと言えるでしょう。
そもそもミスターVRだって「中に人がいるキャラクター」なら人と同じ扱いを当然しているし、配慮がないわけではない。動画でも一般的な配慮はしている。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いみたいな複合的要因で文句が出ている可能性がある やはりオタク的な不文律か?
認めた人はある程度の自由が許される
余所者と認定した人には厳しい
結局コミュニティの中に入っていない、ということ?
しかしミスターVRだってコミュニティの中に入っているのである
入っているから知り合いから聞いてインタビューでオファーしたし、相手も快諾しているから動画になったのである
この言語化は不十分
「オタクはオタクの感知しないところで、オタクの気に食わないことが起きたら不快」のような極めて凡庸なことしか言えていない
基素.icon考えを深めたい
Claude 3.5 Sonnet.icon
オタク文化における仲間意識と排他性、そしてフィクションキャラクターの扱い方に関する興味深い観察がなされていますね。以下のポイントについて掘り下げて考えてみましょう:
コミュニティの内と外
オタク文化におけるコミュニティの「内」と「外」の概念は、コンテンツの受容に大きな影響を与えます:
コミュニティ内の人物(例:スタンミ)による同様の行為は許容されやすい
外部と認識される人物(例:ミスターVR)による行為は批判の対象になりやすい
この現象は以下の要因によって引き起こされる可能性があります:
信頼関係:コミュニティ内の人物は、そのコミュニティの価値観や規範を理解していると信じられている
文脈の共有:内部者は暗黙の了解や細かいニュアンスを共有していると期待される
帰属意識:同じコミュニティに属するという意識が、寛容さにつながる
防衛本能:外部からの「侵入」に対する警戒心
このような境界線の存在は、オタク文化の凝集性を高める一方で、新しい視点や創造性の流入を妨げる可能性もあります。
コミュニティの変質への懸念
オタク文化の中で、コミュニティの「純粋性」や「本質」が失われることへの懸念は根強いものがあります。この点について:
a) このような懸念は正当化されうるものでしょうか?それとも、文化の自然な発展や変化として捉えるべきでしょうか?
b) コミュニティの「核」を保ちつつ、新しい要素や視点を取り入れていくバランスをどのようにとればよいでしょうか?
c) VRChatのような新しいメディアやプラットフォームは、既存のオタク文化やコミュニティにどのような影響を与えていると思いますか?これらの新技術は、フィクションと現実の境界線をさらに曖昧にする可能性がありますが、それはオタク文化にとってプラスなのでしょうか、マイナスなのでしょうか?
これらの点について、あなたの考えや観察をさらに深めていけば、オタク文化における仲間意識と排他性、そしてフィクションキャラクターの扱い方について、より包括的な理解が得られるでしょう。また、これらの問題は単にオタク文化だけでなく、より広い文脈での集団心理学や文化人類学的な視点からも興味深い研究対象になりうると思います。