2025-11-21
https://youtu.be/byNAiBom09U?si=oErRidO2mYfpgkb8
精神的に不調
室温が低い
昼夜逆転
https://youtu.be/Smgd8hSVHFw?si=yu-I5ZvmnBus_AhA
コメントが面白い
インターネットはここまでの自由は許してない
ここ数日はbrack friday 2025のお買い物があり動画撮影に関心が湧いている。少し前は新しいスチルカメラがほしいと思い、撮影体験を考えてX100VIが気になっていた。撮影機材ばかり増えて、撮影された者が一向に増えていない Insta360 X5も発注してみたが、ギフトコードを入れ忘れたのでキャンセル手続きをすぐにした。待っているうちに在庫が切れた。うーん、キャンセルをするべきではなかった。 Ulanzi MA55は元々20%引きクーポンがあったのが24%引きになっている。Amazonのブラックフライデーとはこんなものである
いや、実は増えている。kyu cameraが来てからというもの、折に触れて日常のどうでもいいことも撮影するようになっているのだ。シェアするわけでもなく、どうでもいいものも、自分が意識した物はすぐにとるようにしている。かつてはTwitterに写真をアップしていたが、今はあまり立ち上げないようにしているのでそのような衝動はkyuに向けられる。 知人に自撮りを勧められたのもあって(その人のアドバイスとはおそらく違うが)kyuのインカメラに向かって話しかけるきっかけになっている。 写真のよし悪しとはなんだろうか?みようみまねで自分らしい表現にたどりつく写真解体新書では自分の好きな写真を大量に集めて分類する作業がある。私はこの序盤の作業を開始し、写真をかき集めるぞ!と決意してインターネットの海に漕ぎ出した後、コロンブスの如く新たな情報をたまたま発見し、いつのまにか本をそっちのけ、いつもの塩梅で中断して読むのがストップしている。写真の善し悪しとは何か。 では、動画の善し悪しとはなんだろうか?これも、大量の動画を見る中から自分で発見する必要があるだろう。
大量の機材レビューをYouTubeで見ているが、その人たちの作例をチャンネルを漁る。多くの写真・動画系YouTuberは自らの作例をYouTubeにあまりアップしていないことに気づく。
彼らの投稿する動画のほとんどは機材レビューである。
おそらく数字が取れる・企画が明確でつくりやすい・スポンサー収入があるという面と
写真や動画の作品はPVが稼げないというような理由があるだろう。彼らの本職はクライアントワークであり、成果は彼らの顧客のメディアで発表される。ちなみに他の収入方法は情報商材をメンバーシップに投稿したり、LUTを売ったりすることである。 世の中の人は他人の写真や動画をさほど見ないのに、動画を撮るノウハウは大量に流通しているということになる。
果たしてどれだけの人が月産どれだけ作っているのだろうか。すべての者が公開されるわけではないから、何もわからない。しかし撮影・編集の大変さを考えると、多分、アクティブな発表人口はさほど多くはないだろう。カメラを買う人の1%もいないのではないか。いや、むしろ今カメラを買う人はやる気があるだろうから、もっと多いだろうか。
機材を選んでいると、抑々自分がカメラを買うべきなのかという根本的な問いを考えざるを得ない。
ここで話が戻る。写真や動画の善し悪しとは何か?面白みは何か?それを自分がやるべきか?これを考えなければいけない
自分も「これはいいな」と思う写真や動画がないわけではない。構図が決まっていてカッコいい、被写体が、全体のトーンがエモい。しかし、多くの動画はそれだけである。そういったものを作りたいかと言われると、1つぐらいは作ってみたい気もするが、もっと明確にストーリーのある漫画を描きたいと思う。実写動画は漫画ほど自由にストーリーを描くことはできない。まず、手軽に撮影できるジャンルはスナップムービーになる。するとストーリー性は、よくて事前に検討できる町の紹介動画か、面白いものを取って回ってカットで後から繋げるようなものにならざるを得ない。すると、構図が決まっていてカッコいい、被写体が、全体のトーンがエモい、みたいな感想は出るが、それ以上の物は出ない動画が出来上がる。バラバラに取られたクリップに、他人が読み取れるストーリーなど作れないからだ。 そして、そのような動画を動画を作ることが面白そうだと思えない。それよりはkouichitvのような芝居やネタを企画として撮影するほうが圧倒的に面白そうだと感じる。今まさに自分の方向性が明確化した。 明確な企画があって、一つのストーリーで起承転結を作って、視聴者の反応を見て、伝わったとか、全然伝わらない。本当にわかってないとか言うのが面白いんじゃないか。面白いネタを世の中に投げたい。 高品質な映像よりも、笑えるネタや面白い演出を作りたいんだ。これは芸人やVTuber動画勢、YouTuberに近い。時点で自主制作映画であり、高品質な映像を撮りたい人の集まりとは評価軸が全く違う。
これ解像度浅い。写真を撮ってる人たちはなぜ写真を撮っているのかわからないから「高品質な映像を撮りたい人」としている
具体的にはこういう映像を作っている人
https://youtu.be/syhyFNv6uXY?si=NwgOiz7IdZZ4WVQE
雰囲気はよく伝わっている
まずはkyuでYouTuber的な事をやっていこうかな
例外的に雰囲気のある動画を作りたい時もある。
旅行に行ったときに自分たちのための記憶を思い出すトリガーとして、
あるいは美化された記憶として
しかし、このような動画のクリップは大量に溜まっているが一向に編集をしないところから見て、今のところ私はこの作業に強くひかれていない。
法律の勉強の講義は、筋は通しつつきっちり0から積み上げるわけではなく作法を学ぶスタイルであるから、一旦講義で納得したモノを自分で再構成しようとすると「どうしてこういうロジックになるのかまるでわからない」というところもある。多分呉明植.iconは「そういうのが気になるなら、学者になりなさい」と言うだろう。法律家になる試験なのだから、法律の実務を知っている人になる必要がある。実務とは形骸化した祭りであることも多いということか。「なぜそうなのか、なぜそれが合理的なのか」は学者の領分であり、実務家の主戦場ではない。しかし私は気になる。しかし、この気になることをやり始めると合格が確実に遠ざかることも理解している。普段は調べ始めるが、この試験に関してはクレバーに(フツーの受験生がやるように)やることを最初に固く誓ったので深入りしない。受かってからたっぷりやればいい。いや、受かってからもそんな時間はないのだろう。
やはり学問としては理系学問ほどの面白さはない。というかわたしは学問をやっていないのだからそれはそうだ。試験勉強をしている。試験勉強は学問ではない。