2020年の日本のTwitterにおける作品批評の空気感
90年代~00年代前半の、まだウェブサイト同士がリンク集で繋がりあっていた時代には、時間をかけてネットサーフィンを進めるうちに、奇怪なアニメ批評やゲーム批評を記した素人のウェブサイト群にたどり着くことがしばしばあった。そういう辺境のウェブサイト群が、人知れず、数か月~数年にわたって狂い咲いていたりしたものだ。
しかし、現在のSNSやインターネットのアーキテクチャは、奇怪な批評が咲き続けることを許してはくれない。誰かが見つけて、ワンタップで手が届くようにリンクを貼ってしまえば、そこはもう、インターネットの辺境でも日陰でもなくなる。あっという間にシェアされ、摘み取られてしまう。
ブログで映画感想記事をアップし続けていると「自分が行う映画感想のブランドイメージを保ってやろう」という権威主義的な見栄や欲がついつい生じてしまい、「この映画を褒めているのにこの映画を貶すとセンスが悪い人のように思われるかもしれない…」などなどの不安を感じたりしてしまうものだ。
「金銭」や「承認」、あるいは「権威」や「見栄」への欲求は、物事の感想を述べたり物事を批評したりするうえでは退けるべき天敵なのである。 TwitterはRT/いいねで得点がつくコミュニケーションツールなので
甘口で無批判な感想になる
読む人は大抵好意的に読むので、好意的な感想が得点を稼ぐ最適戦略
批判は損にしかならない
叩いていいと認定された作品は寄ってたかって叩く(この場合これが最適戦略だから)
フリーランスや企業アカウントはRT/フォロワー数が金銭的な利益になる