知識は使わなくてもなくならないが、技術は使い続けなければ消える
あるものAを習得する際に、時間を空けてやってうまくいくものとうまくいかないものがある
うまくいくものは知識で、うまくいかないものは技術
忘れることもあるけど、筋がわかっていれば忘れづらい
ランダムなものを暗記するのはできない
筋肉は使わなければ急速に衰える
絵は描かなければかけなくなる
ランダムなモノを暗記するのはできないので、筋を見つけて整理して覚える必要がある
理屈を見つける能力も必要
知識(の実践)は適切にレイヤリングされることでブラックボックスとして利用でき、恩恵を受けることができる 例えば、「分業」。鉛筆をつくるためには、北カリフォルニアの森で木を伐採し、工場に輸送して小さく切り刻む。鉛筆の芯は、セイロン島から輸入した黒鉛とミシシッピ州の粘土を混ぜる。鉛筆の外側に塗る黄色い塗料はトウゴマという植物からつくられているので、それを栽培し、輸送し、塗料に加工する。さらに、鉛筆の先についている消しゴムとの接合部分には真鍮が使われているので、銅と亜鉛をそれぞれ採掘し、精錬する。消しゴムは、西インド諸島の植物油やイタリアからやってくる軽石、その他多くのつなぎ物質を混ぜてはじめて完成する・・・ こんなことを知らなくても鉛筆を使うことはできる
こうして科学は進歩する
一方、人間の技術は誰もがせいぜい90年ぐらいの中で0から磨いていくものなので、想像を超えて伸びない
足が速さの中央値は100年前の人と現代人で対してかわらないだろうし、17世紀作られた数学を全員が理解できるわけではないし、レオナルドダヴィンチより絵が上手い人がわんさかいるわけではない
水を組まなくても良くなったし、いろんなものが金で解決できるので生産性は上がっている