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新左翼のおわり
赤軍
レーニン率いるボリシェビキの武装組織
日本赤軍
学生運動があっても選挙は自民とが圧勝していた。革命などできない。まして世界革命など曖昧すぎる
既成の左翼はどうなったのかを論じた本
格差、貧困、戦争危機は左翼の論点だった
戦後日本はマルクス主義が不満を吸収して支持された
新左翼から浅間山荘まで
1955に方針転換。不満を持った学生がブントを誕生するも、安保破棄は無理なので挫折感を味わう
革命的共産主義者同盟が組織拡張、中核派、革マル派などの分岐
大学の裏金や授業料値上げをきっかけに運動が拡大。全共闘が組織される。
民主青年同盟はむしろ当局と連携
ベトナム戦争の反戦空気が追い風
革マルと中核は内ゲバになり、取り締まりも強くなり運動が行き詰まったので一部はよど号ハイジャック事件(1970)をおこした
赤軍派の残党などは訓練としてあつまり山岳ベース事件、あさま山荘事件(1972)をおこす
日本赤軍はPLOと合流してイスラエルで銃乱射事件をおこした
これらは新左翼が社会から受け入れられなくなったことを示している
行き詰まった結果事件が起きてる
左派の漂流
1970年
共産党は議席があるが、社会党は消滅、社民党も風前の灯
もくじ
新左翼の凋落
革マルが早稲田のほぼノンポリ学生を殺して開き直った事件
海辺のカフカで似たような事件がでてる。このとき村上春樹は在学していた
この時間をきっかけに革マル派に対して学生がキレたが、早稲田大学が革マル派を君臨させて制御しようとしたので革マルがのさばった
中核派は革マル派とは違う武装路線をウリにした。爆弾密造して誤爆して一般人を巻き込んだ
三菱重工爆破事件
アジア搾取の責任が帝国主義の軍産複合体にもあるとし爆破
北海道に生まれた大道寺雅史は、アイヌの差別をみて日本帝国主義を憎悪するようになった
天皇暗殺未遂
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窮民革命論
逮捕されたうち青酸カリを飲んで自殺したメンバー
法廷闘争で訴えるのではなく死ぬのは右翼やアナキストのやること
佐藤 優本当に左翼なのかわからない。新しい体制には興味がない。アナキズムだ
日本のアナキズムの源流は権藤成卿の君民きょうち論
515,226の青年将校が影響された
土地からとれた穀物を氏神に祀るネットワーク。天皇というネットワークのコアがあればいい。官僚を破壊すれば世直しができると考えた
何を言ってるのか全然わからない基素.icon
組織化した労働者は体制に組み込まれるから、組織から阻害された最底辺から革命が起きると考えて、日雇い労働者を組織化しようとした
しかし実際にそれをやるのはかなりむずい
太田龍はマルクス主義を放棄し、反人間的アニマルライツ、レプティリアン
日本の陰謀論だ基素.icon
吉本隆明は、国家、法律、企業の上部構造は虚構だと考えた。幻想の正体を古事記や遠野物語から読み解いたのが共同幻想論
マルクス主義の教条的なのが嫌いな若者にウケた
左翼はその後三里塚闘争ぐらいにしか存在感がない
1970年代の労働運動の高まり
社会党の存在感
1980年代 大量消費時代での社会党の凋落
1980後半から90年代 ソ連崩壊、国鉄改革、新自由主義のはじまり
90年代から現在 左派はまた必要とされるのか?
労働運動がガチで盛り上がって日本が本当に社会主義になるのでは?という危機感が政財界に生まれて反動で右派勢力ができた
チリでの世界初めて民主的に成立した社会主義政権
アメリカが衝撃を受け、CIAによる工作でクーデターを起こした
平和的革命が反共産主義によって武力でひっくりかえした。社会主義に関係がない人まで殺された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ミッシング_(1982年の映画)
ニクソンとキッシンジャーはMilton Friedmanにピノチェト政権を支援させた
一時はGDPが大きく伸びたが、インフレ&バブルで後遺症がでかかった
民社党がピノチェト政権を支持し、右派色を強める
1970年代の国鉄が過激な労働運動をやったが成果が得られず、国民の支持が離れて下火になる
当時の物流は鉄道だよりだった(駅に物を持って行って他の駅で受け取る)
利用者がストを嫌がったのと民間運送業の品質が上がったのでトラックが利用されるようになった
ヤマト運輸が1971年に小倉社長になり、小口の単価が高いから儲かるとふんで宅急便を始めた
国鉄の貨物輸送が減少して赤字が増えた。赤字は国鉄民営化の大義名分となった
大衆娯楽が増えて、組合のレクリエーションが時代にそぐわなくなった
個人主義の台頭
日教組の弱体化
労働組合
教師聖職者論
社会党・日教組が教職員の労働時間短縮を主張したことに対して
共産党と全教が反対として唱えた
もともと自民党が教職員のスト禁止の論理
当時の左派ではマルクス主義や社会主義自体はいい物だと思われていたが構造と力―記号論を超えてがベストセラーになり伝統的な左翼思想を無意味化した
そういう大きな物語はなくなり、 小さな差異が大事というメッセージの本
構造主義者
史的唯物論では、生産手段を誰が持つかという下部構造によって政治や法律などの上部構造を規定すると考えていた
つまり、下部構造を変えればいいという考え方
非スターリン的社会主義
ユーゴスラビア共産主義者同盟は労働者が生産手段を自主管理してボトムアップに意思形成
イタリア共産党も
江田三郎
社会主義の新しいビジョンとして支持を集めた
社会党は江田三郎のソフトな路線に反発
福祉国家は資本主義を維持するための安全装置として否定していた
70年代ごろから革命ではなく民社党や公明党と組んで政権交代を狙ったが、社会主義協会は共産党との協調路線だから受け入れられなかった