複素数の歴史
16世紀
カルダノは三次方程式 $ x^3=3px + 2qの根の公式を発見した $ q^2 < p^3のときここに、「不可能の数」$ \sqrt1があらわれることに気づいた
依頼かなりの間、想像上の数として扱われる
17世紀
ルネ・デカルトによって、虚 (imaginary) という言葉が用いられ、虚数と呼ばれるようになった。
デカルトは作図の不可能性と結び付けて論じ、虚数に対して否定的な見方を強くさせた。
ド・モアブルの公式のように虚数を射止めることによって単純明快に述べられる規則があることも分かってきた これって年代は?miyamonz.icon
実用上でも工学や電気回路で使われている
ここらへんは大学の授業でメモったはずmiyamonz.icon
---
17世紀
複素平面が世に出たのは、1797年にノルウェーの数学者カスパー・ベッセル(英語版) (Caspar Wessel) によって提出された論文が最初とされている。
しかしこの論文はデンマーク語で書かれ、デンマーク以外では読まれずに1895年に発見されるまで日の目を見ることはなかった。
1806年にジャン=ロベール・アルガン(英語版) (Jean-Robert Argand) によって出版された複素平面に関するパンフレットは、ルジャンドルを通して広まったものの、その後、特に進展は無く忘れられていった。 18世紀
1814年にコーシーが複素関数論を始め、複素数を変数に取る解析関数や複素積分が論じられるようになった。 1831年に、機は熟したと見たガウスが、
複素平面を論じ、
複素平面は複素平面として知られるようになった。
ここに、虚数に対する否定的な視点は完全に取り除かれ、複素数が受け入れられていくようになる。
実は、ガウスはベッセル(1797年)より前の1796年以前にすでに複素平面の考えに到達していた。
1799年に提出されたガウスの学位論文は、今日、代数学の基本定理と呼ばれる定理の証明であり、
複素数の重要な特徴付けを行うものだが、複素数の概念を表に出さずに巧妙に隠して論じている。