シミュラークル
消費社会の神話と構造
消費社会の神話と構造
ソシュール記号論と、
マルクスの価値形態論を基に消費社会論を展開
以下抜粋
シュミラークルの時代性
1. 1. 第一次
前近代に関連するもので、表象は明らかに現実のもののための人工的な目印である。 2. 2. 第二次
産業革命の近代と関連したもので、
大量に再現可能なアイテムのコ ピーの増殖により、表象と現実の間の区別が崩壊し、
それらを商品に変えてしまう。
現実を模倣する商品の能力は、コピーがそのプロトタイプと同様に「本物」であるため、
オリジナル版の権威に取って代わられる恐れがある。
3. 3. 第三の秩序
後期資本主義のポストモダンと関連しており、
シミュラクル がオリジナルに先行し、現実と表象の区別が消滅する。
そこにはシミュレーションしかなく、オリジナリティはまったく意味のない概念となる12。 『シミュラクラとシミュレーション』では、
符号の順序を次の4つの段階に分けている
1. 第一段階 忠実なイメージ/コピー
そこでは記号が「深遠な現実の反映」(6頁)であると信じている
これはボードリヤールが「聖礼典の秩序」と呼んだものにおいて、良い外観である。
2. 第二段階 現実の倒錯
ここでは記号は不誠実なコピーであり、
現実を「悪しき外観-それは悪意ある秩序である」として「仮面化し変性させる」もので あると考えるようになる。
ここでは、記号やイメージは現実を忠実に示すのではなく、
記号そのものが包含できない不明瞭な現実の存在をほのめかすことができる。
3. 第3段階 現実の不在を覆い隠すもの
記号は忠実な複製であるかのように装うが、それは原本をもたない複製である。
記号やイメージは現実の何か を表象していると主張するが、表象は行われておらず、
恣意的なイメージが関係のないものとして暗示されているに過ぎない。
ボードリヤールはこれを「魔術の 秩序」と呼んでいる。
意味代数の体制では、すべての人間の意味が人為的に作り出され、密閉された真理への参照として現れるのである。
4. 第4段階 純粋なシミュラクルであり、
シミュラクルはいかなる現実とも何の関係もない。
ここでは、記号は単に他の記号を反映するだけであり、
イメージや記 号の側で現実を主張することは、他のそのような主張の順序に過ぎない。
これは完全な等価性の体制であり、
文化製品はもはやナイーブな意味でのリアルさを装う必要さえない。
なぜなら、消費者の生活体験はあまりにも人工的であり、
現実に対する主張さえ人工的で「超リアル」な言葉で言い表すことが期待されるからである。
そのような現実に対するナイーブな気取りは、
批判的な自己認識の欠如、したがって過度の感傷として認識される。
ボードリヤールは、現実とシミュラクラの区別の欠如は、
以下のいくつか の現象に起因すると理論化している。
1. テレビ、映画、印刷物、インターネットなどの現代メディアは、
(生活を営むために)必要とされる製品と、
商業的イメージによって必要とされる製品との間の 境界線を曖昧にする役割を担っている。
2. モノの価値が有用性ではなく貨幣(文字通りの不換紙幣)であり、
しかも有用性を貨幣で定量化・定義して交換するようになった交換価値。
3. 多国籍資本主義
生産された商品を、植物、鉱物、その他の原資材、
およびそれらを生み出すために使用されたプロセス
(人々とその文化的背景を含む)から切 り離すこと。
4. 4. 都市化
人間を非人間的な世界から切り離し、
疎外感をもたらすほど大規模な生産的処理システムを中心に文化を再集中させる。
5. 言語とイデオロギー
特に、強力な集団が、少なくとも部分的には貨幣的な用語で自らを表現する場合、
言語はますます社会集団間の権力関係の生産に巻き込まれるようになる。
ボードリヤールが『シミュラクラとシミュレーション』の中で
「シミュラクラの歳差運動」に言及するとき、彼はイメージの歴史的位相の継承というよりもむし ろ、シミュラクラが上記の意味でリアルに先行するようになった方法に言及している。
現代社会ではシ ミュレートされた複製がオリジナルのオブジェクトに取って代わったように、地図が地理的領域に先行するようになった(地図-領域関係)、
例えば第一次湾岸戦争、
戦争のイメージは現実の戦争に先立っている、と彼は論じている。戦争 は、主権者が主権者に対抗して起こすものではない(攻撃的かつ戦略的な中立化のための殺戮が許可されるのでもなく。むしろ、戦争は、社会がそれが起こると一般に確信したときに起こるのである。
モノの価値には価値と使用価値があるとした。
消費=言語活動
そしてソシュール的に言えば言語は
「差異のシステム」なので、
消費は言語活動であり、差異のシステム。
というふうな論理になる。
以下引用
”「差異化された記号としてのモノの流通・購買・販売・取得は、
今日ではわれわれの言語活動であり、コードであって。
それによって社会全体が伝達しあい語り合っている。
これが消費の構造でありその言語である。”
✅例 ブランド品
ブランド品において、機能性や素材は重視されない。
エルメスは金持ちだけが持てるとか、エルメスは自分の価値を高めるといった。
そういった記号的価値(使用価値)は、
社会では表象的に扱われるので、コミニュケーション的な作用を持つ。
記号表象としての言語と、表象概念や表象行動は、機能的に一致する。
ほとんどの人がそれを記号活動だと捉えている以上。
(個人がどう感じるかとか、消費社会に囚われないぞと考える)
というのはどうでもよくなってしまう。
服に興味がなくても服飾文化の記号活動には参加せざるを得ない。
ブランド品そのものが、記号を意味的に付与された言語のようになっている。
✅無印良品のジレンマ
ブランドではないという自称そのものが、
記号活動的なブランド活動になってしまう(言語的な相対性)
消費者は自分で自由に望み、かつ選んだつもりで他人と異なる行動をするが、
この行動が差異化の強制やある種のコードへの服従だとは思ってもいない。
消費社会の神話性。
単純に考えれば、あらゆる消費は、衣食住それ以外の機能性は持たない。
後天的価値形態や価値機能は、社会表象としてのみ成立する。
消費の神話は、
消費活動によって他者とコミュニュケーションをとれると皆んなが信じていることに由来する。
↑
自己成就予言
このような対立項を包摂する神話は強力である。たとえ根拠のない予言 (=噂や思い込み) であっても、人々がその予言を信じて 行動することによって、 結果として予言通りの 現実がつくられるという現象のこと。
消費という概念は、自己成就的予言です。 消費という概念が存在するとみんなが思えば、ほんとうに存在してしまう。
(ナラティブやミームと意味的に対応する。)
ジラール欲望の三角形
あらゆる文化は、リアルからの逃避であり 洒落化、相対化である
*岡田斗司夫 『ユーチューバーが消滅する未来 2028年の世界を見抜く』 (PHP新書 p126)
”〈物語〉への飢餓感は社会に縛られる。
あるいは縛ってくれる社会の存在を明らかにすることであるから、
〈共同体〉 と切り離された
〈物語ソフト〉をいくら消費してもその飢餓感は決して満たされない。
〈物語〉 への過剰 なニーズは 〈物語〉 と 〈共同体〉 の分離の結果起きたのであり、
この決して満たされない仕掛けからなる 〈物語〉 への飢えが
〈物語ソフト〉 の複製や流通の技術の進歩と結びついて(あるいはそれを半ば促して)
今日の、個人の消費のキャパシティをはる かに超える量の
〈物語ソフト〉の氾濫という事態を生んだのである。”
*大塚英志 『定本物語消費論』 (角川文庫 p27)
物語
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