情報処理との闘い 2020/1/26
情報処理との闘いを修正させていただきました。家族などから表現にダメ出しされてしまい、修正箇所が多くなってしまいました。申し訳ございません。段落構成は変わっておりません。 Wikipediaによると「WiFi」は「Wi-Fi」になっていますが、これはオーディオの「Hi-Fi」に似せたもので、一般的には「WiFi」という表記が圧倒的に多いようです。
ScrapboxとEpisoPassは無料で利用できることを書いた方が良いでしょうか?
/icons/hr.icon
情報処理との闘い
人が求めることは長い間あまり変わっていない。面白い話を見たり聞いたり、友人と会話したり、美味しいものを食べたりしたいのは昔も今も同じである。
こういった要求を満たすには「情報」が必要である。コンピュータは「情報処理」を行なう機械だと考えられているが、人間の行動の多くも情報処理である。電話やテレビのような革新的技術は人間の情報処理能力を強化してきたが、読書から送金まであらゆる点で社会を変えたWebは人間生活全体に衝撃的な影響を与え続けており、、IoT的な全世界コンピューティング時代にはさらに大きな変化があるだろう。
処理すべき情報の量や質が急激に変化したため「従来の常識」が通用しなくなってきた一方、「新しい常識」も生まれてきていて大変である。指で画面を拡大するのは常識だろうか。つぶやくと電気がつくのが常識なのだろうか。常識や直感や本能が不確かになった現在、人間はどういう「情報処理」を行なえば良いのだろう。
情報は「整理」や「管理」が必要である。本も書類もDVDも目に見える情報なので、整理するのも捜すのも隠すのも簡単だったが、Web時代のデジタル情報は見えないうえに置き場所がよくわからないので厄介であり、心配事も多い。Web時代の情報はどのように整理してどのように管理すればよいだろう。人間を支援するべく進化すべき将来のコンピュータは、人間の情報処理をどのように助けられるのだろうか。
情報の整理
職場でも家庭でも沢山のコンピュータ情報の整理が必要である。仕事の情報は効率良く整理しておきたいし、Webでみつけた情報は個人的に保存して整理したいものである。
普通の人は整理や片付けが得意ではない。さまざまな片付け術や整理法が提案されているが、家やオフィスでは整理が行き届かない棚やフォルダがゴロゴロしている。棚や箪笥でモノを整理するには「分類」が必要だが、分類方法を決めるのは難しく、そもそも分類しにくいものもある。土産にもらった英国の切手を収納するのは「土産」棚なのか「手紙」棚なのか、それともまさかの「ヨーロッパ」棚なのか。ときめかなくて捨てたくなったものはどうしよう?
パソコン上の書類や写真のような情報は実体が無いので、さらに整理が難しい。昔の人は紙の写真をアルバムに貼って整理していたものだが、スマホ人類はそんな面倒なことをしておらず、Webサービスに丸投げしたり、どこかのフォルダに放り込んだまま放置しているのが普通のようである。これはファイルの情報整理が難しいからだろう。歴史的経緯により、パソコンのファイルはフォルダを使って「階層的管理」するのが常識だと考えられており、いい加減な整理が許されない雰囲気がある。あらゆるファイルを乱雑にデスクトップに置いているとパソコンが苦手だと思われる。階層的情報整理の原理自体は単純で美しいのだが、情報をどこに置けば良いか考えるのは難しく、分類方法を考えるのも面倒なので、結局何でもデスクトップや「その他フォルダ」に放り込んでしまって整理が破綻したりする。
幸いこれには解決策が存在する。デジタル情報の整理が破綻するのは、情報は階層的に分類して整理するべきだという思い込みに起因するものであり、「検索機能」と「情報間リンク」を活用すれば問題は解消する。Webの情報は分類されていないのに、優秀な検索エンジンと沢山のリンクのおかげで破綻せずにすんでいるのが証拠である。個人的な情報でもWebと同じように検索とリンクを適用すれば、雑多なデジタル情報の管理が楽になる。私は長年の考察の結果として開発した「Scrapbox」というシステムでこれを実現しており、今は悠然と情報整理を楽しんでいる。分類が整理の基本だという間違った常識が不幸の原因だったのである。
Scrapboxはブラウザから編集/利用できるWebページの集合(Wiki)で、階層構造を使わずページ間のリンクで情報を整理する。英国土産の切手情報ページを「英国」「土産」「切手」のようなページにリンクしておけば、「英国」や「切手」のページから直接アクセスでき、関連ページにもすぐにアクセスできる。「ウィスキー」のページが「英国」ページとリンクされていれば、「英国土産の切手情報」ページから「英国」つながりで「ウィスキー」のページにも直接アクセスできる。このようにリンクをたどることは、脳内での芋蔓的な記憶想起に似ており、脳をコンピュータにアウトソーシングしているようなものである。私はScrapboxを使うようになってから情報整理が楽しくて仕方なくなってしまった。新しい常識の勝利であろう。
https://gyazo.com/73e27d9c6a31a2493fac5394dcea3a42 https://gyazo.com/284edfa1a33e47eee26e8130f97965b1
情報の管理
あらゆる情報をネット上に置くのが普通になってきている。情報をネット上に置く場合、公開情報と秘密の情報を区別して管理するための「情報セキュリティ技術」が重要になるが、秘密情報の管理は難しい。LANケーブルやWiFiなどのハードウェアが安全か、接続先が本物か、暗号通信が安全か、などの検証が必要であり、個人認証も必要だからである。
暗号通信の歴史は古い。昔の暗号化手法では、通信する両者が秘密の暗号鍵を持っている必要があったが、暗号化と復号に異なる鍵を利用できる「公開鍵暗号」の発明によって暗号通信の応用範囲が広がり、現在はあらゆる通信で公開鍵暗号方式が利用されている。また通信相手が信用できることを保証するための「認証局」を利用するPKI(Public Key Infrastructure)というインフラがインターネットの安全の基礎として利用されている。公開鍵暗号もPKIも重要な技術であるが、複雑な原理にもとづいているので理解が難しく、問題があっても気付かないかもしれない。なんとなく「みんな使ってるから大丈夫なのだろう」と信用して使わざるをえない。
暗号通信やハードウェアのセキュリティは厳しくチェックされていることが多いので、大抵の通信は安心して使えると期待できる。このため、一般人が最も注意する必要があるのは「個人認証」の部分だろう。鍵やカードのような認証ハードウェアは馴染みがあるし、指紋や虹彩を使う生体認証も普及しつつあるが、現在のネット環境で最も広く使われている認証手法は「パスワード」である。コンピュータを共同利用するためにパスワードが発明されたのは1961年だが、60年たった現在も元気に広く利用されている。パスワードの利用には文字入力装置が必要で、記憶するのが大変なのに攻撃は簡単で、欠点だらけの認証手法なのだが、あらゆる面でパスワードより有利な認証手法が存在しないため、いまだに広く使われている。
複数のサービスで同じパスワードを使っていると、どこかでパスワードが流出したときすべての情報が危険に晒されてしまう。このため、サービスごとに異なるパスワードを使うことが強く推奨されている。しかし沢山のパスワードを覚えるのは不可能だから、いろんなパスワードを記憶しておくための「パスワード管理システム」が使われるようになってきた。しかし、パスワード管理システムを使うには「マスターパスワード」の記憶が必要であるうえに、どこでも動くわけではなく、究極のソリューションとは言いがたい。またパスワード管理システムはどこかにパスワード情報を記憶しているわけだから、流出する危険があり、実際に事故も発生している。
パスワード管理システムにパスワードを覚えさせるのは最善ではないので、、私は「EpisoPass」というシステムでパスワードを「生成」して使うようにしている。EpisoPassでは、パスワードを記憶するかわりに自分の昔の記憶からパスワードを生成する。「公園で転んだのは?」のような些細な記憶に対して「奈良」のような回答を選択することで乱数的な文字列を生成し、それをパスワードとして登録して利用する。ブラウザがあればどこでも使え、ネット接続が不要なので情報が漏れる心配がない。また自分の体験にもとづく記憶は忘れる心配が少なく、質問文をオープンにしても大丈夫なので、情報管理に気を使う必要がない。自分で考えたパスワード文字列をどこかで記憶しておくものだ、という古い常識を捨てることによって有用なシステムを作ることができたわけである。
https://gyazo.com/52f172e6938a9c7390ad5d793416463d https://gyazo.com/d465969fd1c406cf8fd65a435907f9ba
人間の情報処理の将来
人類は日本住血吸虫や天然痘などとの闘いに勝利してきた。デスクの上の大きなブラウン管モニタとの闘いも過去のものになった。昔は情報の量が少なかったので情報処理と闘う必要は少なかったであろう。情報処理との闘いは現代に特有のもので、将来は忘れられてしまうのかもしれない。中島敦の「名人伝」に出てくる趙の紀昌は、厳しい修行によって弓の名人になった結果、弓とは何だったかすら忘れてしまった。技術と人間が共進化して、情報処理との闘いのことなど誰もが忘れてしまう未来のために貢献したいと考えている。