情報処理との闘い
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人が興味を持つことは何百年もたいして変わっていない。面白い話を見たり聞いたり友人と会話したり美味しいものを食べたりしたいのは昔も今も同じである。
こういった要求を満たすには情報が必要である。コンピュータは「情報処理」を行なう機械だと考えられているが、人間の行動の多くも情報処理である。電話やテレビのような革新的技術は人間の情報処理能力を強化してきたが、読書から送金まであらゆる点で社会を変えたWebは人間生活全体に衝撃的な影響を与え続けているし、IoT的な全世界コンピューティング時代にはさらに大きな変化があるだろう。
処理すべき情報の量や質の変化のために「従来の常識」が通用しなくなってきた一方、「新しい常識」も生まれてきていて大変である。指で画面を拡大するのは常識だろうか? つぶやくと電気がつくのは常識か? 常識や直感や本能が不確かになった現在、人間はどういう「情報処理」を行なえば良いのだろう?
情報は「整理」や「管理」する必要がある。本も書類もDVDも目に見える情報なので、整理するのも捜すのも隠すのも簡単だったが、Web時代のデジタル情報は見えないうえに置き場所がよくわからないので厄介だし心配事も多い。Web時代の情報はどのように整理してどのように管理すればよいだろう? 人間を支援するべく進化すべき将来のコンピュータは、人間の情報処理をどう支援できるのだろうか?
情報の整理
職場でも家庭でも沢山のコンピュータ情報の整理が必要である。仕事の情報は効率良く整理しておきたいし、Webでみつけた情報は個人的に保存して整理したい。
普通の人間は整理や片付けが得意ではない。さまざまな片付け術や整理法が提案されているが、家やオフィスでは整理が行き届かない棚やフォルダがゴロゴロしている。棚や箪笥でモノを整理するには「分類」が必要だが、分類方法を決めるのは難しいし、そもそも分類しにくいものもある。英国土産の切手を収納するのは「土産」棚なのか「手紙」棚なのか、それともまさかの「ヨーロッパ」棚なのか? ときめかなくて捨てたくなったものはどうしよう?
パソコン上の書類や写真のような情報は実体が無いのでさらに整理が難しい。昔は紙の写真をアルバムに貼って整理していたものだが、 スマホ人類はそんな面倒なことをしておらず、Webサービスに丸投げしたり、どこかのフォルダに放り込んだまま放置しているのが普通らしいのは、ファイルの情報整理が難しいからだろう。歴史的経緯により、パソコンのファイルはフォルダを活用する「階層的管理」が常識と考えられており、いい加減な整理が許されない雰囲気がある。あらゆるファイルを乱雑にデスクトップに置いているとリテラシー不足だと思われる。階層的情報整理の原理は単純で美しいのだが、情報をどこに置けば良いか考えるのは難しいし、分類方法を考えるのも面倒で、結局何でもデスクトップや「その他フォルダ」に放り込んでしまって整理が破綻したりする。
幸いこれには解決策が存在する。デジタル情報の整理が破綻するのは、情報は階層的に分類して整理するべきだという思い込みに起因するものであり、「検索機能」と「情報間リンク」を活用すれば問題は解消する。Webの情報は分類されていないのに、優秀な検索エンジンと沢山のリンクのおかげで破綻せずにすんでいるのが証拠である。個人的な情報でもWebと同じように検索とリンクを適用すれば、雑多なデジタル情報の管理が楽になる。私は長年の考察の結果として開発した「Scrapbox」というシステムでこれを実現しており、今は悠然と情報整理を楽しんでいる。分類が整理の基本だという間違った常識が不幸の原因だったのである。
Scrapboxはブラウザから編集/利用できるWebページの集合(Wiki)で、階層構造を使わずページ間のリンクで情報を整理する。英国土産の切手情報ページを「英国」「土産」「切手」のようなページにリンクしておけば、「英国」や「切手」のページから直接アクセスでき、関連ページにもすぐにアクセスできる。「ウィスキー」のページが「英国」ページとリンクされていれば、「英国土産の切手情報」ページから「英国」つながりで「ウィスキー」のページにも直接アクセスできる。人間の脳内のこういった芋蔓式の記憶想起をコンピュータにアウトソーシングしているようなものである。私はScrapboxを使うようになってから情報整理が楽しくて仕方なくなってしまった。新しい常識の勝利であろう。
https://gyazo.com/73e27d9c6a31a2493fac5394dcea3a42 https://gyazo.com/284edfa1a33e47eee26e8130f97965b1
情報の管理
あらゆる情報をネット上に置くのが普通になってきている。公開情報と秘密の情報を区別して管理する「情報セキュリティ技術」が重要になるが、ネット上の秘密情報管理は難しい。ケーブルやWiFiなどのハードウェアが安全なのか確認が必要だし、接続先が本物かどうか検証が必要だし、暗号通信が必要だし、接続先にログインするための個人認証も必要である。
暗号通信の歴史は古い。昔の暗号化手法では、通信する両者が秘密の暗号鍵を持っている必要があったが、暗号化と復号に異なる鍵を利用できる「公開鍵暗号」の発明によって暗号通信の応用範囲が広がり、現在はあらゆる通信で公開鍵暗号方式が利用されている。また通信相手が信用できることを保証するための「認証局」を利用するPKI(Public Key Infrastructure)というインフラがインターネットの安全の基礎として利用されている。公開鍵暗号もPKIも重要な技術であるが、複雑な原理にもとづいているので理解が難しいし、問題があっても気付かないかもしれない。なんとなく「みんな使ってるから大丈夫なのだろう」と信用して使わざるをえない。
通信インフラのセキュリティをチェックしている人は多いので、大抵の通信は安心して使えると期待できるため、一般人が最も注意する必要があるのは「個人認証」の部分だろう。鍵やカードのような認証ハードウェアは馴染みがあるし、指紋や虹彩を使う生体認証も普及してきているが、現在のネット環境で最も広く利用されている認証手法は「パスワード」である。コンピュータを共同利用するためにパスワードが発明されたのは1961年だが、60年たった現在も元気に広く利用されている。パスワードは覚えるのが大変だし、攻撃も簡単だし、文字入力装置が必要だし、欠点だらけの認証手法であるが、あらゆる面でパスワードより有利な認証手法が存在しないためいまだに広く使われている。
複数のサービスで同じパスワードを使っていると、どこかでパスワードが流出したときすべての情報が危険に晒されてしまうので、被害を小さくするため、サービスごとに異なるパスワードを使うことが推奨されている。しかし沢山のパスワードを覚えるのは不可能だから、いろんなパスワードを記憶しておくための「パスワード管理システム」が使われるようになってきた。しかし、パスワード管理システムを使うには「マスターパスワード」が必要であり、またどこでも動くわけではないので、究極のソリューションとは言いがたい。パスワード管理システムはどこかにパスワード情報を記憶しているわけだから、流出する危険があり、実際に事故も発生している。
パスワード管理システムにパスワードを覚えさせるのは最善と思えないので、私は自作の「EpisoPass」というシステムでパスワードを「生成」して使うようにしている。EpisoPassでは、パスワードを記憶するかわりに自分の昔の記憶からパスワードを生成する。「公園で転んだのは?」のような些細な記憶に対する「奈良」のような答選択から乱数的な文字列を生成し、それをパスワードとして登録して利用する。ブラウザがあればどこでも使えるし、ネット接続が不要なので情報が漏れる心配がない。また自分の体験にもとづく記憶は忘れる心配が少なく、質問文をオープンにしても大丈夫なので、情報管理に気を使う必要がない。自分で考えたパスワード文字列をどこかで記憶しておくものだ、という古い常識を捨てることによって有用なシステムを作ることができたわけである。
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人間の情報処理の将来
人類は日本住血吸虫や天然痘などとの闘いに勝利してきた。デスクの上の大きなブラウン管モニタとの闘いも過去のものになった。昔は情報の量が少なかったので情報処理と闘う必要は少なかっただろうから、情報処理との闘いは現代に特有のもので、将来は忘れられてしまうのかもしれない。中島敦の「名人伝」に出てくる趙の紀昌は、厳しい修行によって弓の名人になった結果、弓とは何だったかすら忘れてしまった。技術と人間が共進化して、情報処理との闘いのことなど誰もが忘れてしまう未来のために貢献したいと考えている。