ラフな内容置き場
なんでこういう文章を書いているのか
結局のところ自分たちが価値あると思っているものがひどく狭い領域でしか機能しない価値であるのは寂しい
それがある意味では音楽の本当に一部としてしか機能していなくて、ある種ないものとして扱われていることをただ受け入れるのもそれはそれで違う
マクロな話をするべきkbyshwtn.icon
自分たちは「美的なものをつくること」に愚直であり、それ故にマクロな話をしなければらない
が、メタ認知/思考とマクロを同一視してはならない。
マクロな話をする、とは祈り/希望について話すことである。故に推進させる力をもつ。
対してメタ認知はミクロな問題との距離のとり方の一つでしかなく、逡巡や先延ばしの類の結果しか産まない。
「批判を恐れて先に批判する」
厳密には2ndの制作期にも発生していた問題
なんか(メタ認知的)マクロを防衛規制的に扱うのが根本問題なのかもと思った
今回の選挙でまあ俺的には参政党が17くらいは議席取るだろうな、と思ってたり共産党が議席減らすだろうということもわかっていたりで、実際参政党の議席はそこまで伸びなかったが大凡自分の予想通りの結果になった、みたいなことを まあ読み通りだしそういうものだな と捉えるのではなく素朴に悔しがる みたいなことが大事なのでは みたいな
自分がちゃんと価値があると信じてるものが揺らぐ時に変にメタ認知を駆動させて状況整理しない みたいなこと
マクロ/ミクロの話は大枠で言うとパースペクティブを持つこと、約束を果たすことに関連してきそうな内容だから1st関連では触れなくて良い気がするな
ユースカルチャーに馴染めないことを認めるkbyshwtn.icon
1stは特にHyperpop等のトレンドに目配りしていた
音は面白いし、ある種のマイノリティ性を持った音楽がポップスのいちシーンとして存在していることに感銘も受けていた
が根底にある受け入れ難いユースノリを無視していた
ユースノリとはなにか
世代的な共感性を駆動させる随筆?
違うな。
要素
イケメン性
私的体験に基づいたシリアス表現
肩組み
正味、肩組んで「オレタチ、サイコーダゼー」とはならない。
仮にぶち上がったとしても「俺が最高だ」としか思わない。
お前たちはサイテーだとすら思っている。
1st作ってるとき僕はユースとは言わんまでもおっさんではなかった。
明史も年よりは若い感性があった
同時にお互い、老けた感性も兼ね備えていた
だからこそ若者らしい音楽をやることに何か意味がある気もしていたかもしれない
とはいえ好きな音楽はみな大人びていた。
ユースの連帯感を批判するよりもユースであることに伴って生まれる音楽的なショボさを避けることに力点を置きたい、という意思を提示した方がいいと思う
どちらかというとそれをフェティッシュな問題として扱う
副次的にユースのノリがどう音楽に影響を与えているのかを詰める
作風が広いフリをしていたkbyshwtn.icon
地方移住についてkbyshwtn.icon
1st->2ndの変遷の中で和歌山移住は重要なことだったのか否か。
あまり考えたことはない。
フェチ判断と価値判断kbyshwtn.icon
良い/悪い(カッコいい/ダサい)とフェチの問題がコンフリクトの原因になりがちではあった
し、マシにはなったが今も同根の現象は起きる
ライブ周りに対する詳細な言及
これは3rdに向けてになるので一旦スルーする
next chandelier
これも3rd
批評の不在に批評を立ち上げるのではなくデカい感情で対峙する
ある程度説教くさい部分は立ち上がってしまうが、それを良しとするかどうか
音楽は自由であるべきだ、的な論者がいる のなら逆に音楽は不自由であっても良い