バイブスの有無をやりたいことへの愚直さで判断する
from 拙さゆえの不協和音をどこまで許容するか
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正直全然きにならない
でも逆に長谷川白紙やJacob Collier等の技巧派の不協和音あんまバイブスを感じないかも。作り手の意図や意思が見えて結構萎えちゃう
作り手の意図が見えると萎えるみたいな感覚があまりないkbyshwtn.icon
「狙いすぎ」みたいな感覚?
作り手の狙いを感じる所作が、その人にとっての「美的なもの」へ音を通じて接近するための演出であることが明らかであれば許せる
もっと聴く側の体験の順番でいえば、その人の思う「美的なもの」が先に伝わってきて遡及的にその演出が必要なものであったことがわかる、みたいな体験
で、そいつが考えてる「美的なもの」が陳腐に感じられたり、そもそも伝わってこなかったりすると、「その演出、しくってない?」となる
考えていて思ったが、僕は音楽にとってのバイブスを、見かけや態度ではなくそいつのやりたいことへの愚直さで判断してるのかもしれない
なんなら音楽は「美的なもの」を表現することがすべてであり、そのバリエーションとしてのみ様々な音楽があるのであって、それ以外のやりたいことに従属する音楽表現は僕にとっては「音楽」じゃない、くらいのことを思っている節がある
逆にどんなにしょうもなかったり倫理に反していてもそいつの「美的なもの」がなんかあるって思えるならそれは音楽であるとも思えるので一長一短
コミットしたいかは別だが