「メタ認知」の嫌さ
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終わりがない
社会や政治に対する現状肯定性が強い
「世の中に不満があるなら自分を変えろ」的な
ある種のマチズモでもある
社会や政治の問題はメタな次元じゃなく、即物的でベタな次元に転がっているものなので、ベタに解決していくしかない
メタ認知や構造認識は努力で勝ち取るのではなく、ツールを使って楽して生成すべき 他人からの批判を先取りすること
「俺そういうとこあるんだよね〜」的態度
これは自己批判ではなく保身
ちゃんと正面から批判されて傷付け、と僕の中の宮台真司が言っている 「ニュートラルなメタ認知」は存在しない
人間は愚かなのでメタ認知の「メタ」は論理的なメタじゃなく、目的やバイアスによって特定の偏りをもった「メタさ」にならざるを得ない
何のためのメタ認知か?という問いに対する応答が大概の場合、「市場で勝つため」でしかない
メタ認知をアリバイにしたマウンティングや搾取が多い
自分に対して「メタれた」と思った奴が他人に対してマウンティングする場面を死ぬほど見てきた
そういう姿勢の愚かさに対してはメタれてないやん、という
そもそも「自分に対して完全にメタる」ことなどあり得ない
メタ認知から新しいものが生まれることはない
アーレント研究してる友人が「メタ認知は思考によって意志を否定することだ」的なことを言っていてなるほどと思った
新しいことをするのは「意志」であり、メタ認知から行動が起こることはない、という。
認知行動療法的にきちんとケアをしつつ自分の思考パターンを紐解くことは有用だけど、無目的で競争的なメタ認知はメンタルを壊す
分散的な記憶に一つの語りを与えることで安定を取り戻す、という意味で
精神分析には治療という明確な目的があり、用いられる「語り」は必ずしも真実ではないし、真実でなくてもよいという前提のもとで行われる
つまり精神分析は自分の中の過剰なエネルギーを制限し、整流するためのプロセス
ただでさえ日々制限され整流されまくった現代のビジネスマンが「勝つ」ために精神分析しても、より自分を苦しめる抑圧的なナラティブを作り出すだけな気がする
自己を飼い慣らすプロセス
僕は人類全員もっと暴れて衝突すべきだという思想を根本に持っている気がする
メタじゃなく、どこまでもベタに生きろ
口で喋ってたから細かい内容忘れたけど、メタ思考に逃げるのやめたい、みたいな話を去年よう話した気がするkbyshwtn.icon
(相方との対話において)相対的に記憶力が弱い分、メタ思考でカバーしようとするが、その思考から生まれたものには何の推進力も伴わない、みたいな話をした記憶がある
僕もこれやっちゃいがちなので、自戒を込めて書いてましたnozakimugai.icon