ラボの研究費について
戦争のプロは兵站を語り、素人は戦略を語る
大学における「兵站」とは研究費であろう.今の大学の研究費は資金制約が大きく,重要性が増している.これについて記そうと思う.特に,理数系研究室において,これらの資金制約が学生の研究テーマ選択に置いて直接関係することを記す.恐らく,研究室選択にも直結する論点である.
資金の種類
大学での研究資金は主に2種類ある:
公費
外部資金
公費
公費は大学の基盤予算であり,最も使い勝手が良い.学生の授業料・国からの運営費交付金が原資である.
学生の教育を主たる目的とする場合は主に公費からしか支出できない.研究室の什器を購入したり,部屋を修理したりするのにもこれを用いる.予算額は大学/学科に寄る.例えば多いところでは年100万円前後は貰えると聞いた.しかし最近の問題点は,予算が少ない大学が増えていることだ.少ない大学だと年間10万円程度だったりする.つまり多くの国立大学では,実質的に公費だけで研究することは不可能である.
こんな疑問が自然に生じるのではないだろうか?「なぜこんなに研究費は少ないかのか?特に,学生の教育費は主にここから支出すると言うが,学生の支払う授業料は何処に行ったのか?」その答えは,
国立大学の場合,学生の支払う授業料は非常に格安であり,それだけでは教職員の人件費すらカバーできない;
そして,授業料では足りない基盤的予算分を,国からの運営費交付金で補填している;
しかし,現在の国の方針として,運営費交付金を削減してその分を外部資金に移転することが行われている
というのが大きな理由だと思う.では次に外部資金について説明する.
※私立大学は授業料が高い分,公費が結構充実しているらしい.つまり公費だけでも研究/教育を回すことが十分可能だと聞いた.
外部資金
外部資金とは文字通り,教員が所属する大学以外からの資金である.公的外部資金として有名なのは
科研費(基盤A-C/S,若手研究,挑戦的萌芽,挑戦的開拓)
JST予算(ERATO, CREST, さきがけ, ACT-I/Xなど)
であろう.他にも民間財団の外部資金も選択肢としてある.
外部資金を得るために,ラボ運営者(PI, principal investigator)は多くの書類仕事を行う.PIは計画書を執筆し,それを審査してもらうことで,多くの研究者同士で競争し,採択された場合は外部資金を得ることが出来る.今の国立大学において,殆どのラボは外部資金を主たる財源として研究している.つまり,外部資金とは,PIが自分の信用(主に過去の業績に依存する)とアイディアを武器として,競争することで得る意味で,全員に平等に配布される公費とは大きく性質が異なる.
外部資金が主たる財源になることの影響
特に外部資金は使用用途が非常に制限されている.具体的には,使用用途は『申請した研究計画のための使用』に制限される.これは学生目線で公費と大きく異なる.なぜなら学生の教育目的で支出することは許されておらず,あくまでPIが執筆した研究計画書に沿った内容でないと支出できないからだ.実際,純粋な教育目的で支出するのは不適切会計になると思われる.
では学生の卒研/大学院研究において,外部資金は活用されていないのだろうか?そんなことはない.非常に(実質的に)活用されている.なぜなら,学生が教員の研究を助ける(つまり共同研究する)一環として資金を支出するならば,外部資金の使用は正当化されるからだ.つまり,国立大学の理系学生は,教員の研究テーマと直接関係する研究テーマを選択することで,外部資金の恩恵を被ることが普通である.その意味では外部資金はむしろますます重要になっている.つまり,本来の使用用途を考えると卒研などの教育課程には公費を使用することが望ましいが,今の国立大学は公費不足であるため,外部資金を使用可能なテーマのみを選択している.
外部資金が変えつつある,PIと学生の関係性
外部資金を使用する際のデメリットは,学生の研究テーマが非常に制限されることである.外部資金を使用する以上,教員の研究テーマから大きく離れた研究を遂行することは実質的にできない.つまり,教員と学生の関係は「雇用者と被雇用者」の関係に近い.特に外部資金を多く持っているPIは学生にしばしばRA (research assistant) をオファーすることがある.RA雇用された学生は金銭的に教員から補助を受けることが出来るが,その場合は文字通り雇用者/被雇用者の関係になる.この場合はPIからの業務指示があるため,学生と教員の関係性は単なる師弟関係ではなくなる.RAについては記事 #RA雇用について を参照する事.また,「米国の博士課程では給与がでる」ということはしばしば学生の間で話題になるが,それについては記事 #米国と日本の大学院(特に給与面)の違いについて を参照する事. RAの運用はPIに大きく依存する.RA学生に比較的大きな裁量を与えるPIもいる(もちろん,研究計画との関連を適切に説明可能な範囲ではあるが).一方,完全に研究計画に沿った研究を指示するPIもいる.これはPIに聞いた方が良い.私個人の意識としては,ある程度学生に裁量を与えた方が学生のやる気が出ると思われる.しかし,明確な指示を与えた方が良い学生もいるため,運用方針は『学生に寄る』としか言えないかもしれない.
ちなみに金澤自身は学士/修士/博士課程において,RA雇用をされたことがない.博士課程では学振DC1を受給していた.その関係でかなりテーマ選択は自由に選ばせてもらったし,本当に自由に学生時代に研究が出来た.その経験として,可能ならあまりテーマを意図的に狭めたくないとは思っている.
現代の理系研究室選択において,「外部資金取得歴」は無視できない
ここまで読めばわかるが,PIの外部資金獲得能力は,ラボ選択において無視することが出来ない.外部資金が潤沢なラボでは,研究会発表のための出張などが自由に出来る可能性が高い一方,そうではない研究室では出張できない(もしくは自腹になる)可能性がある.こういう外部資金取得歴はResearchmapなどで公開されている(また,科研については調べれば完全公開されている).また最近はオープンアクセス誌が増えており,論文を出版する過程では論文出版費用を支払う必要がある.これを払える研究室かどうかで,論文誌の選択の幅に大きな影響が出る.よって,研究室選択において,外部資金取得歴を検索することは本来重要だと思われる.
ちなみに教員人事においても,外部資金取得歴はかなり重要だと聞いている.実際,教員公募では殆どの公募で外部資金取得歴を申告する必要がある.
国立大学において学生は「お客様」なのか?
私は職業として教員をやっているため,原則として「学生はサービスを提供するべき客である」と思っている.なのでビジネスとしても学生のことは尊重しているし,丁寧に扱う必要が職業倫理上あると強く思っている.言い換えれば,本来,教員と学生の関係は対等であるか,もしくは学生の方が客として強い立場にいるべきだと思う.もちろん,教員は学生の学位/単位認定をする以上強い権限を持っているのは事実ではあるが,あくまで教育はサービス業に属するべきだからだ.
しかし,「国立大において学生は『純粋なお客様』と看做すことはあまり適切ではない」という議論が(本当に)ある.というのは,国立大の学生は「自分が支払った授業料以上のサービスを受ける」のが実態として普通だからだ.そもそも国立大における授業料は非常に割安であるため,それだけでは大学運営全部を賄うことは全く出来ないことは知っておいた方が良い.つまり,運営費交付金と言う税金を原資とするお金が大きな補助として入っている.つまり学生は,
日本国の納税者に,自分の勉学を実質的にサポートしてもらっている
ということを,倫理として意識するべきだと思う.大学への国の資金援助はある種の「戦略的投資」であって,それを無駄にするのは倫理的に正しくない.貴重な税金を無駄にしたいためにも,大学での研究機会を是非有効活用してもらいたい.
また,外部資金が入るともっと話はややこしくなる.外部資金の恩恵を受ける場合,教員と学生の関係は「お客様」の関係からより離れていく.つまり,教員の信用/資金に乗っかることで,支出した授業料より遥かに大きな研究設備/研究資金を使用することが出来るのだから,『教員の研究計画』とのマッチングが大事になってくる.つまり,教員が取ってきた外部資金に基づくラボ資産を利用したいなら,教員の研究計画を完全に無視して,自由気ままに研究することは出来ない.実際,「学生Xの研究上の興味は,グラント研究計画書Yと一致していない.なので,学生Xが外部資金研究Yを分担しているとは看做せない」と教員が判断した場合は,『学生Xが外部資金Yを原資とするラボ資産を利用すること』は会計的に妥当ではなくなってしまうだろう.あくまで外部資金Yを原資としたラボ資産は,教員の研究計画書Yに沿って運用されることが会計的に求められているのだから.よって,学生Xは公費を原資とした研究を行うことが会計的に妥当である.しかし,現在の国立大学では公費が非常に限られているため,これでは学生Xが利用できる研究費は非常に厳しくなってしまうだろう(※).
※コメント:国は基盤研究費を削減して,外部資金をその分増やす政策を取っているが,金澤が考える最も大きな問題点はここだ.つまり,本来は卒研/修論/博論は教育の一環として実施している側面が強いはずだが,外部資金が実質的な原資として入り込む以上,もはや学生が完全に主体的な研究計画を立てて研究活動を行うことは会計倫理上は認められないという事だ(もしくは研究資金が不要な理論研究のみに専念させるか,である).言い換えると,基盤研究費を削除して外部資金を増やせば,大学の教育機関として自由度が下がり,研究機関としての役割が強くなる.これが本当に良い事なのか金澤は確信できない.
私見
個人的には学生は独立研究者としてある程度自由な研究テーマを持てることが望ましいと思う.なぜなら,学生が将来研究者として自律するためには,研究テーマを自分で選択する能力を鍛える必要があるからだ.しかし,現在の外部資金制度はそういう選択肢を制度的に制限する方向に機能している.これは外部資金の支出目的を考えると仕方がない事だと思う.ここらへんのバランスを取るためにPIは試行錯誤する必要がある.当然だが,学生と教員の関係はwin-winであることが望ましい.ここはPIの腕の見せ所なのだと思う(金澤はまだPIとして若いので,試行錯誤を頑張ります...).