米国と日本の大学院(特に給与面)の違いについて
「米国では博士課程で学生は給与が貰えるらしいが,日本の博士課程では貰えない.これはけしからん」という意見がある.金澤も学生時代はそう思って居た時期があったし,これは確かに正しい側面もある.しかし,そんなに単純な話ではないので,簡単に金澤の認識を説明する.
※警告:米国は広い.欧州も広く,米国と大きく慣習が異なる.更に,分野に寄る慣習も非常に多様である.つまり,金澤の理解が米国/欧州での,全分野の大学院の在り方を適切に捉えているとは思っていない.あくまで金澤周辺での個別ケースのヒアリング/同僚との会話から金澤が理解した大学院の世界観について記述している(金澤自体は米国留学していないので,ヒアリングベースなので,前面信頼するべきではないことは最初に述べておく).もちろん,間違いがあれば指摘はwelcomeであるが,全て正しいと思わずに読んで欲しい.細かな間違いがあるかもしれないが,内部の人間が多少なりとも記述する事には多少なりとも意義があると信じる.
米国の大学院について
まず米国の大学は授業料が非常に高い.TRAのオファーを貰う(更には授業料を免除してもらう)ことが出来ない場合,その非常に高額な授業料を支払う事になるだろう.単純に「TRAのオファーを貰えるような特別優秀な学生は,米国で特別扱いされている」という話だと思う.まずこれが大前提にあると思う.
全大学かはわからないが,入学者のほとんど全員がTRAのオファーを貰っていることはある.その場合はTRAをオファーできる程度に選考を絞っていると解釈すべきだと思う.つまり,日本の大学院の様に「人気研究室を選ばないなら,入るのはそんなに難しくない」という状況ではないだろう.
米国のTRAは簡単なバイトではなく労働契約である
次に,無事TRAを貰える程度に優秀な学生だと仮定しよう.そういう場合でも,純粋なRA(つまり研究に専念できる)のオファーを貰えるとは限らず,TAの比重が大きいケースがかなり多い.米国のTAはかなり本格的であり,研究時間を圧迫する程度に重い仕事になる可能性がある.例えば,私の友人は米国留学中はかなりTAに時間を割いていた.彼の場合,週20時間程度はteaching dutyがあったらしい:
@haruki_wtnb: カリフォルニア大学バークレー校の大学院では確かに授業料免除かつ生活費支給でしたが、それは週20時間に及ぶteaching dutyの対価でした。プリンストンのような私立大学ではもっと負担が少ないと聞きますが、学振のようにタダで援助を貰ってるのではないという点は重要だと思います。 @haruki_wtnb: 「海外の大学院は日本より給付型奨学金が充実している」のは確かにそうかもしれませんが、例えばアメリカの州立大学ではかなりの量のティーチングが要求されることは無視できないと思います。 週5日のうち,2日半程度をまるまる費やしている.これはかなり大変だと思う.
TAでなくRA雇用される場合は,研究により専念できるだろう.しかし,RA雇用をした場合は,教員と学生の関係が非常にドライな雇用者/被雇用者の関係になる.これは単なる師弟関係を超えた上下関係であり,学生は教員から研究テーマを日本以上に強制力を持って指示される可能性がある.結果として研究の裁量/自由度がかなり低い可能性もあるだろう.また,米国では教員が学生のRA雇用を自由に解雇できる(日本でも解雇できるが,日本は年契約が普通だと思われる.米国だと恐らく即解雇できる)ため,教員の権限が日本より実質的に強いのではないだろうか.
実際,入学段階では十分優秀だと判断され,無事TRAのオファーを受けて入学した学生であっても,そのTRAは卒業まで保証されているわけではない.知り合いのケースだと最初の1-2年間のみ保証されていて,継続的に評価を受けることが出来なければTRA契約は終了し,更にはどこの研究室にも配属してもらえない可能性がある(注).
※注:理系大学院では学生は,良くも悪くも教員にとっての「潜在的な共同研究者」だと思って接する人が多い.つまり,共同研究するメリットがある学生(≒優秀)を強く優遇する傾向がある(別記事 職業としての『大学教員』の実態 ~経営者との類似性~ を参照).この傾向は欧米だけではなく,多かれ少なかれ日本でもある.この傾向が強くなると,「共同研究するメリットがない学生を研究室として受け入れたくない」と思う教員はいるだろう.日本の大学院生は学費を払っているため,「どこの研究室にも配属されない」という極端なことはあまり起きないと金澤は思うが,米国はそうではないのだろう. 米国の推薦状文化について
最後に,推薦状について触れた方が良いだろう.米国はコネ社会である.世界的に見ると,日本は全くコネ社会ではないので,想像が付かないかもしれないが,米国は本当にコネ社会である.分野によっては,コネがないと大学院入学が出来ない,もしくは良いTRAオファーを貰えないと聞いている.ここでいう「コネ」とは,例えば推薦状である.何をするときも米国で良いオファーを貰うには「強い推薦状」が必要であることは有名である.これは米国だけの話ではなく,多かれ少なかれ推薦状をかなり重視するのは一般の大学関係者の常識になっている.
例えば,経済学の大学院に関してはかなり有名な話がこのページに載っている.ここに書かれていることが全ての分野で同一なのか金澤はあまり自信がない(金澤はここまで強い表現を学生に対して用いるべきなのか自信がない)が,ある程度本当の話だと思う.推薦状の中身については,あまり違和感がない.金澤が推薦状を書くときも,多少違いはあれど似たようなことを書いている.こういう「強い推薦状」を「強い人」=「世界的に信頼されている人」から貰わないと,米国に限らず海外の良いポジションを得るのは容易ではない. 大事なことは,米国に限らず,研究者が書く推薦状はかなりシビアだという事だ.日本の「推薦状」(例えば高校での推薦状)には「教員は必ず良いことを書いてくれる」という前提がしばしば置かれるが,研究者の書く推薦状はそうではない.推薦状には嘘を書いてはいけないので,褒めることが出来ない人を無理に褒めることはできない.良く知らない学生/実態としてあまり推薦できない学生から依頼されても,良い推薦状を基本的に書くことは難しい(そういう学生から推薦状依頼を受けたとき,金澤は学生に「正直言って,良い推薦状は書けないし,正直に書くけど本当にそれでいいか?」と確認する事になる).
指導教官から良い推薦状を貰うために
それを踏まえると,米国で良い留学生としてのオファーを貰うなら,
学部中に,世界的に評価され,名前が売れて信頼されている指導教官から良い推薦状を貰う努力をする必要がある
そのためには,学部中に実績を示すべきだろう.例えば,次のような実績取得が必要になると思われる:
1. 学業成績がもの凄く良い
2. 4年生の終わりまでに良い研究をして,できれば論文を出版する
こういう客観的実績があれば,強い推薦状を書くことが出来ると思う.ちなみに金澤の意見としては,論文出版が最も評価が高いだろうと思う.成績はもちろん良い方が良いが,成績と研究能力は同一ではないので,論文出版の方が遥かに安心して評価できる.論文出版できなかった場合は,仕方ないので成績で戦うしかない,という感じがする.
ちなみに,良い推薦状を書いてもらえることになったとしても,指導教員の世界的評価が低い場合,その推薦状は「強い推薦状」ではない.つまり,世界的に評価されている指導教員とどうやってコミュニケーションをし続ける/共同研究するか,という戦略的問題は学部時代から既に始まっている.
指導教員から推薦状を1通貰うだけで十分とは限らない
学部中に指導教員から高評価を受け,無事推薦状を書いてもらえることになったと仮定する.しかし,まだ問題点がある.実際に米国留学した友人によると,推薦状は複数必要だったとのことだ(3, 4通程度).つまり,指導教員だけから非常に高く評価されるだけでは不十分で,行きたい大学院によっては,戦略的に複数の教員との関係を構築する必要になる.
こういうことを考えると,大学院で良いオファーを貰いたいなら,相当計画的に学部生活を送った方が良い.これはそんなに容易なことではないと金澤は感じる(たとえば学部4年中に論文出版できる研究能力があるなら,日本の大学院で学振DC取るのは難しくないだろうと金澤は思ってしまう).
日本の大学院について
また,日本の大学院の実態に関するそもそも認識の誤りが,学生の中で存在する可能性は無視できない様に思う.実は日本でも外部資金が潤沢な教員は,優秀な学生にRAをオファーしていることが多い.これは一般公開されているとは限らない.RAについては記事 RA雇用について を参照してほしいが,場所によってはB4から実質的なRAを貰う学生がいる研究室もある.B4や修士課程であっても,RA雇用費があれば授業料程度はペイすると思われる.博士課程なら,金満な研究室なら学振程度(つまり月20万円)の金額をオファーすることもあるかもしれない. ちなみに金澤研でもB4学生からRA費を補助している時期があった(これを読者が読んでいる「今」どうなっているかは知らない.外部資金の過多は年度によって大きく違うので,常に「RA雇用をオファーしている」と保証することは出来ない).
ちなみに日本では学振DC1/DC2を貰えれば,給与(月20万円)を貰うことが出来る.米国でTRAで良いオファーを貰うより,学振を貰う方が容易かもしれない.特に学振を取ると,教員から独立した資金源(科研費)を得るため,本当に自由に研究が出来る.その意味では,日本の博士課程で学振を取る方が自由に研究できると思う.
結論
ここら辺のバランスを考えたとき,「日本の大学院が本当に悪いのか?」というのはそんなに自明ではないと思う.もちろん,金銭的には日本の方が明らかに「待遇が悪い」が,米国の給与は本当に「労働の対価」であって軽いものではない可能性があり,比較は簡単ではない.もし比較したいなら,たとえば「日本で週2日半をフルにアルバイトなどで働いて,それ以外の時間に研究する」状況を想像してほしい.米国のオファーはこれと対応しているが,確かに比べれば日本より「待遇が良い」かもしれない.実際,日本のアルバイトの給与はあまり高くなく,週2日半の労働ではとても自活できないだろう.では,あなたが想定している「日米の待遇比較」は本当にこういう状況設定だろうか?もし「給与を貰いながら週5日全てを研究活動に費やしたい」とあなたが思っているなら,米国の上のオファーは思った以上に大変な選択肢だと思うのではないだろうか?
また,米国での資金援助を勝ち取ることは相当難しい.日本の大学院に入学できる学生が,米国で資金援助付きの条件で入学できるかどうかは全く自明ではない.そもそも強い推薦状を複数取得する段階で大きな問題が発生するだろう.こういう問題点を解決するコストなどを度外視してはいけない.つまり,米国方式も日本方式もそれなりにどちらもメリット・デメリットがある.それらを踏まえた上で比較した方がいいと思う.
金澤の私見
金澤の私見を述べれば,
RA費を修士課程から継続的に出してくれる研究室を見つけて,
学振DC1を取る
ことを前提にしてしまえば,日本の大学院の待遇はそんなに劣悪ではないと感じる.むしろ難易度まで考えるとコストパフォーマンスは高いと感じてしまう.もちろんこれらの条件を達成するのはそこそこ難しい(特に学振)が,米国の大学院にチャレンジする難易度(特に推薦状問題)はかなり高いことを忘れてはいけない.
むしろ待遇を理由にするのではなく,
分野的に米国(欧州)の方がはるかに研究環境が良い
単純に米国(欧州)に留学してみたい
などの理由で米国(欧州)留学を検討する方が良いと思う.「待遇が良いと聞いたから留学したい」という理由だけで留学を検討すると,「思ったのと違う...」と思うことになりえると思う.
注意
なお金澤は米国留学経験はなく,友人の話を聞いた記憶をもとに書いています.米国に詳しい人で,金澤が間違ったことを書いていれば教えてください.
謝辞
本記事を書くにあたって,渡辺悠樹さん(東京大学工学部物理工学科,東京大学理学部物理学科の同期)の意見をかなりに参考にしました.以下の一連のツイートを読者の皆さんは参考にしていただけると幸いです:
本文について,金澤の意見としてのオリジナリティを主張する気はあまりありませんが,(何か間違いが見つかった時などの)文責は金澤にあります.