2010年
#きっかん史
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高校1-2年。
2010/2:彼女ができる。
部活の先輩。今思うときっかんの近しい人間関係ではかなり自分から遠い価値観をしていて、それが良かったと思う。
2010/2:Twitterアカウント(初代)を開設。
ニコニコメドレークラスタに瞬時に取り込まれる。
クラスタ自体の人数が少なかったことから聞き専と作者の境目があまりなかった
組曲「360小節」が当時一番好きなニコニコメドレーだった。
fourbthree(しびさん)との交流が印象深い。
音MAD作者との交流も一部できる。
あおきーる、咲崎(♂)、とーか、にじ、接着剤、何かちぎれた、えあぽん、Shu※、レオル、メロポ、銀夜、koichil、などなど……
音ゲーの影響も大きい
高校の修学旅行
高校の修学旅行、その1日目は午前中に京都で新幹線を降りて夕方に神戸で集合するというものだった
9人で班を作るということで、きっかんを含む5人組の仲良しグループAと、きっかんを含む別の5人組の仲良しグループBで9人とした
修学旅行当日になって、そのAとBの仲がめちゃくちゃ悪いことが判明
板挟みになるのでどちら側にも付かず個人で大阪などを見て回った
その際に雑に投稿したネタツイートがバズる。明確にバズったが規模感は不明。
当時はツイートについたお気に入り数がわからず、外部サイト「ふぁぼったー」を経由する必要があった
しかも「ふぁぼったー」は全ユーザーをクロールしていなかった
また、公式RTも出始めの時期で、非公式RTやQTをするユーザーも多かった
この体験から(部活動と)Twitter・インターネットでの活動に本腰を入れるようになる
音ゲーを始める。
2009年に東方Projectに触れたことも含めて、音MADも東方原曲や音ゲー楽曲が原曲であるものを多く見ていた
少し後にそれを狙い撃ちするようなSOUND VOLTEXが稼働開始するが、何故かそれにはそこまでハマらなかった
アニメに明るくないこともあり、下記の素材の音MADを好んで見ていたと思う(ただし、ハマった年代は正確には思い出せていない)
ネイティオ、オムナイト、図鑑改訂シリーズ
東方ネイティオフェイス
バトルドーム
ニコニコメドレー「バトルドーム」はリアルタイムで楽しんでいた記憶があり、見てたはずなんだけどあんまり思い出せない
伯方の塩
シオシオ動画流星群
ヤマザキ春のパン祭り
チャー研
特に東方原曲のイメージが強い
ハンマー状態
また、2009年で説明した部活のメンバーに、ドナルドや松岡修造を好む人がいた
ニコニコメドレーに扱われるような題材も見ていた
再生数が伸びている動画は一通り見ていた
相変わらず情緒がなく、ステレオタイプのにわかでもあった
全部見るなんて頭にも過らなかったから、マイリスト多い順とかでソートしてピックアップしてたと思う
ルノレの影響で給湯器の音MADを見るとかね
人気ジャンルでも明確に見ていなかった素材がある
らき☆すたや咲-Saki-、KYM全般とかに詳しくない状態
2025年現在に仲良くしている音MAD作者はKYMを何かしら通っている人が多く、若干負い目がある
多くの楽曲を採用したニコニコメドレーを多く制作していたFLAGと合作を始動させる。きっかんが選曲構成を担当。
投稿は2024年。14年弱の期間を要することになった。
『あの頃のニコニコ動画』と、わたしのあの頃に選曲意図などを記載。これもきっかん史の一部になるだろう。