視聴覚のイメージで伝える本質は抽象度を高めることで、情報解釈の主体性とプロトコルを受け手側に移せること
#視聴覚
from ScrapboxのページをDALLE-3に食わせて画像を生成して貼り付けると、断片的なメモをエピソード記憶として表現できるのでいい
https://scrapbox.io/files/6541ac34aa108a001ca191ae.png
このような背景で、LLMsをコミュニケーション媒体にするというのは一定量期待できる
関連: 箇条書きの書きやすさと読みやすさのジレンマをLLMsで解消する
語は私たちが与えた意味を持つ
同じ言葉でも、人よって思い浮かべるイメージは違う
一般的不協和音
言葉では3割しか伝わらない
発信者の言葉を正しく解釈するには、その言葉の意味, 文脈, 用法を知っておく必要がある
箇条書きが伝わるには接続詞を補えるだけの前提知識が必要ということ
ここで認識齟齬が発生してしまうと効率が悪い
イメージ(というよりは感覚に近い)のような抽象度の高い情報伝達は、ある程度情報の欠如が許容できる場合のコミュニケーション手法として有益
細かい部分の解釈や補完は受信側に任せる。大枠の向き先が伝わってればそれでいい
一方、根本的なイメージの解釈違い問題は解決できていない
「問題」と「課題感」と「解ける課題」は別物
問題と課題の切り分け
むしろイメージの方が却って混乱を生むケースもある
メラビアンの法則の活用方法
そもそも人間の脳の仕組みは不完全だ
人間は有限である
話せばわかる、は傲慢なのかもしれない
脳を介在する限りバイアスはまぬがれない
人間のコミュニケーションに100%の精度はない
人は能力の100%は出せない、教えるのは猶更だ
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全てのモノゴトはその時点での観測者の環境や立場に相対的である
万能的な伝える技法は存在しないので他人の特性に合わせて伝え方は変えるしかない
百聞は一見にしかず