日常の会話における逐語的確認と受容の作法に関するあれこれ
会話は、一人の人間が、別の人間の内的世界にお邪魔させてもらうための作法
(terang.icon個人的には、会話はその当人たちの間で共同できる足場(共同幻想)をボトムアップで築いていくプロセスだと考えているけども。)
ここでは便宜上、会話を、言葉によるキャッチボールとして書いてみる。
なお、チャット等のテキストコミュニケーションではなく、実際に顔を合わせた現実での会話を想定。
この会話のキャッチボールにおいて重要なことの1つは、
相手からのボールを「たしかに私のミットに収めましたよ」という意思表示を返すこと。
日常の人間関係やコミュニケーションで生じる不和の多くは、この捕球の合図が省略されることで発生することが多い。
あるいは、受け取ったボールを自分の都合で加工して投げ返してしまうことで断絶を招きがち。
(ただし、この捕球の合図が、同意や賛意とは異なるという点には、聞き手・話し手ともに注意が必要。)
相手の発話を「よい/悪い」「正しい/間違い」といったラベルで上書きしない
評価による一般化は、会話の主役性を相手から奪う
例: 相手が「隣の庭に今年最初の花が咲いているのを見つけた」と話したとき、「春らしくていいね」と返す
一見すると愛想のいい応答だが、相手のボールをミットに収めず、自分の手元にある一般的な正論を投げ返している
主役が相手から「散歩の効能」や「季節の一般論」の話題へ(あるいはそれらを話したい聞き手へ)と移り、相手固有の発見が置き去りにされる
理解の4類型でいうところの「評価的理解」もしくは「分析的理解」
「同調的理解」においても会話の主役性を奪いかねない
「具体的な言葉の保持」が、相手世界への訪問可能性を開く
相手が選んだ言葉(名詞、動詞、形容詞など)を、そのまま一切変えることなく返すことが逐語的な確認型応答の基本
聞き手のフィルターを通さない「ありのままの捕球」の提示が、相手との間に安心を醸成し、その場だけのさらなる意味が創発的に生成される準備をつくる。
会話の分岐例
who-yellow.icon発話「今朝は天気が良かったから散歩したんだよね。近所を一周しただけだけどさ、隣のお庭に今年最初の花が咲いているのを見つけてね。」
1. who-lightgreen.icon「へえ。」(吐き捨てるように短く、視線を外しながら)
切断としての相槌(不適切)
ボールを受け取らず、地面に落としてしまうような反応
「これ以上は聞く必要がない」という拒絶が伝わり、会話はしばしば強制終了する
2. who-lightgreen.icon「へえ。近所を一周しただけで、隣のお庭に今年最初の花が咲いているのを見つけたんですね」
逐語的確認(捕球の基本)
相手が投げたボールをそのままミットに収めたことを示す
相手は「そうなんだよ、それでね——」と、さらに続きのボールを投げかけやすくなる
3. who-lightgreen.icon「へえ。」(相手の方を正面から向き、言葉を反芻し、その続きを聞かせてという表情や眼差し、声色で)
接続としての相槌(促し)
語彙は1つ目とまったく同じだが、こちらはボールをしっかりと収め、次の投球を待っている姿勢を示す。
具体的な発話の言い回しだけを模倣するだけでは不十分であり、会話は全人的な営みということ。
相槌の後の沈黙の中に「続きをぜひ聞きたい」という待機状態を維持し、相手からの自発的な発話を促す。
4. who-lightgreen.icon「へぇ!近所を一周しただけで、その最初の変化に気づいたんだね。よく見てるなぁ。」
支持としての驚き(主役の維持)
形式は「評価」だが、スポットライトは依然として相手の観察眼や行為に当たり続けている(自分の最近の散歩体験の話をするなどというふうに、聞き手が主役を奪おうとしていない)
主役を相手に置いたまま、相手自身の価値を讃える応答
5. who-lightgreen.icon「あぁ、ちょっとした散歩のつもりだったけど、その花を見つけた瞬間に、なんだか得したような、嬉しい気分になったのかな」
心情の伝え返し(相手の立ち位置への接近の試み)
逐語的確認の後に、このような心情を続けて返すのもよい
言葉の背後にある“気持ち”を推測し、相手になり変わって世界を眺めようとする試み
もしその推測された“気持ち”が合っていれば、会話はさらに深まる
もし外れていても、相手にしてみれば自分の心情に思いを巡らせてくれたことが伝わり、相互理解が進む
who-yellow.icon「うーん、嬉しいっていうのとは少し違うかな。どちらかというと、今年もちゃんと季節が巡ってるんだな、という感じの『安心感』に近いかも」
who-lightgreen.icon「ははあ、安心感か!」(逐語的確認)
who-yellow.icon「そうそう。なんだか世界がちゃんと動いているって感じがしてホッとしたのかも」
なおこのとき興味深い現象は、who-lightgreen.iconによる(外れていた)推測によって、who-yellow.iconも無自覚であった「安心感」という自身の心情を発見している点。この二者による協働の一種であり、新たな意味生成がここで行われたことになる。
(なお、これを言語化ハラスメントととるかは状況や関係次第。)
対話の質を規定するのは、技術(テクニック)以上に聞き手のスタンス。
これはロジャーズのいうところのPCA。すなわち、
自己一致
「聞き手」という役割を演じるのではなく、一人の人間としてそこに居ること。
自分の意見を述べたいともし思ったのならば、それを押し殺すのではなくそのまま口にする(隠さない=self-disclosureする)ことが自己一致。
相手が生きる世界への純粋な関心を原動力にすれば、聞き手の内面と態度は自然と一致する。
無条件の肯定的配慮
相手の正誤を判定せず、そこに浮かんだことをひとまず「そこに在るもの」として全面的に受け入れる構え。
共感的理解
自分の価値観を一時的に脇に置き(自分の靴を脱いで)、相手の靴を履くように心情や思考を感じようとする試み。
傾聴のテクニック論ではしばしば「オウム返し」とか「ペーシング」などが強調されるが、
それができているかどうかよりも(ファンクショナリズムではなく)、主役の所在をどこに置こうとしているか、相手を楽しませようとしているかがここでの本質。
相手の発見に対する「驚き」や、相手の美点の「肯定的な指摘」は、主役が相手である限り、会話を活性化させる「受容の表現」となるe.g. 上記会話例4。
傾聴における相槌は、「今、あなたからボールを受け止め、ミットにきちんと収めている」ということを示すシグナルでもある。
沈黙は、相手からの次の投げかけを待つための、ミットを開いた状態。
聞き手が発話を急がず十分に待機することで、相手の内部で言葉が紡がれるプロセスを(たとえ何も発話せずとも)支援できる。
もちろんこの会話によって相手を楽しませようと(聞き手の側だけでなく)互いにが互いに対して思い合えれば、良好な関係は持続することになるであろう。