コミュニケーションは通信ではなく共同幻想
シャノン–ウィーバーによる機械同士の通信概念がなぜ人に当てはまるのか
通信は二者のみ
対話 dialogue も、対 dia- なので2人
1. 伝達事項が意識される
2. 記号化する
3. 記号をビット化する
4. 送って受け取る
5. 受け取った記号を解釈する
6. 伝達事項(らしきもの)が認識される
連想するterang.icon
バルトも記号にエンコードとデコードを使っていた
ベイトソンの相補的分裂形成
原学習、第二次学習、創発的学習
スポーツやボードゲームは、対称的分裂形成
吉本隆明的には、対幻想ではなく共同幻想
古事記には中空構造関係がたくさん登場する
ルールがブリコラージュ的に都度生成される言語ゲーム
人と人が共にあるとは。
構成されつつある規範を、
同時に眺めたり別のルールで演技してみたりする一時退避エリアが小文字の組織開発
このエリアを安全に作れて、安全に出ていってもらう状況づくりを企図できる者がファシリテーター
通信はシャノンのころからめちゃめちゃリッチになっているのに、コミュニケーションのダイナミクスは以前のメタファのままなのでは。
言葉狩りしたってしょうがないのでコミュニケーションはもう通信ってことにして、
なにかレトロニム的に新しい語をつくってしまうのもいいのかもしれない
その独自語はコミュニティごとに異なって浮かびあがってくるだろうから、
みんなで時間をかけて文字や文章をこねるのがいいんだろうな。