「何を」学ぶのか?
学びが大事だと言われる。
案外「何を」がバラバラでなかろうか。
「何を」の中身を、
〈知識〉と〈身体操作〉と〈自分と外界の間〉の3つに分けてみますterang.icon
〈知識〉を学ぶ。
漢字、数字の操作、(発見済みの)自然科学の法則など 興味を持った分野、面白そうな分野といったところから学ぶのでは辿りつかない知識がある。
〈身体操作〉を学ぶ
どのような所作が、所属する集団の規範に好ましいのか わかっていてもその通りに身体が動かないことがある
わかっていても、その通りに話したり聞いたりできないことがある
抽象的に言えば「適応」のこと。
他者
集団(グループ/組織/国/社会/世界)
価値
自分を含む。
含むし、むしろそれが1番大事くらいあるのに、なぜか忘れられがち。
定期的に「私とは何者か?」にいつも戻ってくる
あと知に交われば角が立ち、みたいな標語。
道具やテクノロジーに対する認知の文脈で
「人には少なくとも三種類の学習がある」と述べている
accretion 蓄積
知識に関する自分の貯蔵庫への情報の追加
tuning チューニング
既存の知識を修正・調整する行為
restructuring 再構造化
知識が根本的に再編成される
tuning チューニングは〈身体操作〉を学んでいると言えなくもないけれど、restructuring 再構造化は〈自分と外界の間〉を学んでいることというには躊躇があるterang.icon
むしろ、〈自分と外界の間〉を学ぶことは、この分類ではtuning チューニングに分類されるかもしれない。
センゲの『学習する組織』を読むとおおむね、人間関係の学習を指すことが多いように思われる。 原書タイトルのfifth disciplineはシステム思考だから、本来的には違うんでしょうかね わたしはだれか
目的によって「何を」は変わるかもしれない
学ぶ主体が成人ならば。
学ぶ主体が成人未満であるならば、学ぼうとすることが何に役立つのかわからず自律的に目的を持ち得ない
むしろ人格の完成が教育の目的なのだから、学ぶ主体が成人未満であるならばという言い回しは矛盾か。