薔薇寓話20
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焦燥が眠りの裏でどんどんふくれあがってゆく感じだった。このことを知らせなければならないーー彼はそう思いつめるのだが、どうしても方法が見つからぬ。手紙を書こうと便箋をひろげるたびに、誰かが妨害した。電話は話中でつながらなかった。彼は部屋から飛び出したが、同じ角を何度も曲がるばかりで、けして建物の外に出ることができないのだ。
彼は目覚める。
朝七時はまだ暗い。夢の名残りをするともなく反芻するうち、スネイプは今日中にメディチ・マギカ社への報告を書く必要があるのを思い出した。そのために、あんな夢を見たのかもしれない。
薄暗い実験室の机には、三時間前に火を消した蒸留装置がそのままになっている。フラスコの底には残存物が薄い膜を張り、蒸留された液体は黄金色にしずまっていた。彼は冷えきった室内を足早に横切り、暖炉に火を入れ(火蜥蜴は煙道にはりついて動けなくなっていた)、やかんをかけ、たらいに張った氷を割って洗顔する。濡れた髪から滴が肩口に垂れ落ち、スネイプは身震いした。
小窓から外をうかがうと、雪はやんでいる。
ぐらぐら沸き立ったやかんを取ってコーヒーを淹れる。正確には便宜上コーヒーとよんでいる褐色の液体である。プラハ時代はよく代用で済ませたものだが、イギリスに戻って二年もたつのに、いまだに研究室の薬草くずを炒って使う習慣がぬけない。昨日夜食にするつもりで取っておいたパンとバターひとかけと林檎二個を、彼はマグカップの横に置く。
机の上には、夜のうちに生まれたもののように、日刊予言者新聞が乗っている。日曜版に大した記事は無い。文化欄、スポーツ欄、ーー政治面と経済面は休みだーースネイプはぞんざいな手つきでページをめくり、国際面で少し立ち止まる。ダンブルドアが出席した〈教育と文化交流のためのヨーロッパ魔法会議〉についてはほんの数行が与えられているにすぎない。囲みの特集記事は、相変わらず、ヴォルデモートの国際的ネットワークの形成過程の検証だ。
スネイプは顔をしかめ、机上の小山から緑いろのファイルを引きずり出す。九時から面接の予定が三件入っている。マグル出身の五年生と進路について話しあわなければならない。一人は大学進学を希望し、一人は「世界を股にかける」仕事をもとめ今からコネ探しに余念がない。だが残る一人の希望欄は空白のまま。
九時一分前、最初の生徒が扉を叩く。そして十時四十分、三人目の生徒が扉を閉めて去る。スネイプは背を向けたまま、ペンを走らせつづける。
最初の生徒はエジンバラ大学医学部。マグルの患者をみたいと思ったらマグルの医師免許が必要だ。そして診療所はネパールの無医村にひらかれるのでなければならない。そのように生徒は説明し、教師は計画に欠陥のないことを確認する。大学入学資格に関する特別協定。スネイプのペンは生徒がクリアすべきハードルを書き出してゆく。マグル社会に居住する魔法使いに関する機密保持法第十三条例外規定のための特別許可申請。魔法戦士同盟非加盟国におけるイギリス国籍魔法使いの身分にかかわる魔法省通達。ネパールは魔法戦士同盟非加盟国であり、ヒマラヤはアマゾンと並ぶ魔法植物の宝庫だ。しかしスネイプはそれらを書き留めない。彼はペンをもてあそび、そして告げる。魔法界は二兎を追うことをゆるさない。生徒は肩をすくめる。そして言う。でもぼくが治療したいのはマグルの患者なんです。そのための魔法でしょう? ページの余白には教師と生徒のこころみの痕跡が残っているーー勿論先生の留学されたプラハのように、同じ大学に魔法系とマグル系の学部が並存しているところがあれば理想的なのですが。ーープラハ、トビリシ、ウプサラ、ダブリン、トレド。フェズとカイロさえもある。だが最後にはすべてが消される。エジンバラ大学医学部。
二人目の生徒についてはつけ加えるべきことはない。グリンゴッツの「呪い破り」、日刊予言者新聞の特派員、「魔法のおもちゃ」の買いつけと販売。この生徒にとって詐欺師とは人生の大いなる目標だ。彼は魔法使いをそのようなものと認識してホグワーツに入り、まさにそのようなものになろうとしている。グリフィンドールの首席、ウィリアム・ウィーズリーが就職を決めたことでにわかに脚光を浴びた「呪い破り」について、生徒はいみじくも「ピラミッド荒らしの墓泥棒」と喝破した。黄金のマスクを骨董品として売り飛ばしもせずに、グリンゴッツの造幣所でどろどろに溶かしてしまうのは犯罪以外の何ものでもない。少年はせせら笑いながら主張する。スネイプはファイルの縁を指ではじく。この生徒はあるいはグリフィンドールがふさわしかったのではないかとも思い浮かべるが、すぐその考えを捨てる。少年の野望はともあれ途方もないものだ。度しがたいスリザリン的傲慢さ。彼は詐欺師になるだろう。確かに魔法使いとはそのようなものでもある‥‥
三人目の少年のファイルは面接のあいだじゅう白いままだった。二週間後に再面接。その一行は、生徒が立ち上がった時にはじめて記されたにすぎない。スネイプはなおも、立ち去りぎわの生徒に告げた言葉が正しかったかどうか迷っているーー君には将来性がある。それとも、将来に期待しなければならぬほどのろくでなしと言うべきだったか? かつての神童の残骸、自らみとめるのをこばむほど他者へのねたみうらやみに毒された目つき、そんなおのれに、偉大な存在になりたいという夢を口にすることもできぬみじめな精神‥‥。少年はマグルの偏見に非を鳴らし、魔法界の閉鎖性にくりごとを言う。成績のことを指摘されるとクィディッチでチャンスをつかんだボスニーをあてこする。
面接の三十分、教師と生徒は言葉とまなざしで消耗戦を戦う。少年は臆病で卑怯者である。しかし、互いをえぐりとる応酬のうちに、問題の骨格が徐々にむき出しにされてゆく。生徒が不満のうちに告発し、教師があえて黙殺する事実ーーマグル出身のスリザリン生にとって未来ははじめから閉ざされている。今、スネイプはそのことを書きつづる。激しい語調で、怒りをこめて。ひらかれたままのファイルの二週間後に再面接の文字に見つめられながら。
彼はペンを置く。十一時近い。
スネイプは研究室に封印をほどこして階段をのぼる。玄関ホールから見ると、外ははげしく吹雪いている。
校長室ではやかんが猛烈ないきおいで沸き立っていた。旅行鞄はなかみをはみ出させて床に広げられ、濡れそぼったマントが長椅子の上でとけた雪をしたたらせている。ダンブルドアはその向こうで、夢中になってキットカットをむいていた。
スネイプが火をとめると(やかんは泡の呪詛を吐きつづけていた)、校長はようやくふりかえった。
「ひとつ、どうじゃな」
老人は赤い包みを振ってみせた。黒衣の教師は散らかった室内を身ぶりで示した。「まずは濡れたものを始末してはいかがですか」
「まことにものすさまじい吹雪じゃのう。そなたとの約束に間にあうよう急いで帰ってきたのじゃが」ダンブルドアは相手をじっと見つめた。「顔色が悪いかな」
「今朝方、三時間ほど休みました」
「三時間しか寝ていない、とも言うの。マダム・ポンフリーなら睡眠不足と断言するぞ。そなたは一体何羽の兎を追っている?」
「わたくしの目的はただ一つです」
スネイプは暗い調子で言いだした。が、ダンブルドアは陽気にさえぎった。「セブルス、お茶でも飲もうかの。そろそろお湯がわいたはずじゃ」
やかんはまだ怒りさめやらぬらしく、熱湯をさんざんこぼして去っていった。キットカットの赤い山はみるまに崩れ、ダンブルドアの前には萎れた鬼百合といった風情の包装紙が累々とつみかさなる。
「キングズ=クロス駅のコンビニででも買ったのですか」
「いや、会議のときにウィーズリー氏がくれたんじゃよ」
「旅行中なら、あるいは役に立ったかもしれませんな」スネイプはティー・カップを置いて指を組んだ。「会議はどんな具合でしたか」
「名称をくつがえすことはできなんだ。入学資格のところも少しもめたがの」彼が指を鳴らすと、キットカットはひと拭いで片づけられ、真新しい羊皮紙におきかわった。
「多様にして調和のとれた学生構成‥‥」
スネイプは読んだ。
「ハーモニックという言葉は曖昧だ。ポリフォニックならば少しは限定されますが。校名とともに、後々解釈の問題が生じるかもしれませんな。多様というのは具体的にはどのような要素を含むのですか」
「国籍、年齢、血統を問わずーー魔法力を持ち、大学入学資格を有するすべての志望者じゃ」
「結構なことです。単なる題目に終わらなければ」彼はオレンジ色の液体をすかしてカップの底を眺めた。「わたくしはあなたの力添えを願わなければなりません。マグル出身の生徒のことで」
彼はファイルを校長に示した。卒業後もいまだ進路の決まっていないマグル出身のスリザリン生のリストだ。ある者はスリザリン出身という理由で就職を断られた。別の生徒はマグルだからと拒否された。リストが半年前より一人少ないのは魔法族の家系と結婚した者があるからだ。ダンブルドアは鼻眼鏡でリストをのぞきこんだ。
「あなたは積極的にマグル出身者をホグワーツに迎えた」不意にスネイプは口をひらいた。「そして組分け帽子は新入生をふさわしい寮にふりわけたーー例外はありえなかった、スリザリンさえ、マグル出身者を受け入れた」ダンブルドアは顔をあげなかった。「そのことに異議をとなえるつもりはありません。だがあなたは、彼らがホグワーツを出たあとのことを考えられたのですか」かすかな痙攣がその頬をよぎった。息をととのえ、彼は言いなおした。
「あの時代、マグル出身者の大半はスリザリンかハッフルパフに入った。この科学全盛の世の中に、魔法使いの学校から入学許可証が届いたというだけで魔法使いの道を選ぶのは、大妄想に頭を狂わせたうぬぼれやか、マグル社会に適応しそこなったナイーブな落ちこぼれかーーあるいはその両方という場合もありますな、いずれにせよ不健全な輩には違いない」
ダンブルドアはファイルから目だけ上げてたずねた。「それはそなたのことかの?」
「あなたのご存知のとおりです」スネイプはひややかに語を継いだ。「スリザリンに入ったマグル出身者は何より力を求めていただけだ。彼らは純血主義のことは知らなかった。しかるに、彼らのうちの何人が闇に走ったか。何人がかの人物に今なお忠実としてアズカバンに収容されているか‥‥ 誰もがスリザリンを悪の温床と言うが、卒業後の彼らを受け入れたのはかの人物だけだったというのが現実ではありませんか? それとも、スリザリンに選ばれたこと自体が罪とでも?」彼は顔を歪めゆっくりとささやいた。「あなたは、スリザリン寮に十分な影響を与え続けはしなかった」
「セブルス」
ダンブルドアが呼んだ。それでもスネイプは言いつのった。「あなたはハウスの自主性の名のもとに、スリザリンのマグル出身者を見捨てたのです。寮監不在の数年間が、スリザリン寮をいかにむしばんだか、あなたは御存知のはずだ。もし責任ある人物に寮を監督させていれば」
「セブルス」
ダンブルドアはもう一度言った。老人は半月メガネの奥から彼を見つめていた。スネイプは口を閉ざした。
「セブルス、演説はそれくらいにして、本題に入ろうかの」
スネイプは苦々しげにおしだまった。ダンブルドアの表情は当惑しているかのように茫洋と覚束ない。しかし明るいブルーの瞳が、望遠鏡のなかの星のようにするどい光を放っている。
柱時計が十一時半を打つ。スネイプは身じろぎし、ぎこちない動作でファイルのページを繰りはじめた。
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◆"Allegory of Rose" is a fan-fiction of J.K.Rowling's "Harry Potter"series.
◆"Allegory of Rose" was written by Yu Isahaya & Yayoi Makino, illustrated by Inemuri no Yang, with advice of Yoichi Isonokami.
◆(c)Group_Kolbitar.