捉え方が大切
ゲームして遊ぶにしても、学びになる人もいれば、暇つぶしで終わる人もいる。その違いはどこからくるのか?
同じ教育法でも、効果的な人もいれば、まったく効果なしな人もいる。
前提状態が違うから。
例えば、初めから教科書的な正確性を求めらえるとやる気がなくなる。ある程度自分で考えてやってみて上手くいかないのを実感した後、過去の英知を学べると納得感があったり。
中学生が言ってた気になるってるワード「暇つぶしにゲームしてる」
年代的に楽しいこと=恥ずかしいので、照れ隠しな面もあるけど
そういえば暇つぶしだと思って何かやったことここ何十年かは記憶にない。(子どもの時はあったかも)
TVで林先生に説教されてたニートの人も人生暇つぶしみたいなこと言ってたな。
時間を潰すという言葉も使わないな。
経験を捨てている感じが暇つぶし感に繋がっているのかな?思いっきり楽しめばいいのに。
あるお母さんが言ってた気になるワード「あなたがすることに無駄なことなんて1つもない」
何をしても価値があるんだから学びにしなよ、身に着けなよって思いなんだろうな
無駄にするのか、何かを見出すのかは結局その人自身。
なんでも価値があるものとみなすことで学びになりやすくなる。
=自己肯定感に繋がる
すべてに価値がある=自分にも価値がある
捉えかたこそ、深い学びのキーじゃない?
これは使えると思って、自分に取り込もうとする華道やってる人
当時の世俗文化がわかって面白いと深堀していく人
昔の絵の描き方に興味を持つ人
でも、単に汚い古い紙だなと思う人もいる
捉え方は、学校ではほとんど教えてもらえないのでは
でも、”心頭滅却すれば火もまた涼し”と極端になっちゃうとそれも違う
学習科学も、教え方や学習法がこうだったときは、こういう効果が高かった、みたいな図式が多い。
学習科学=ミニマルスタンダードを求めているそう。
いろんな状態の子がいる中で、比較的効果が高い方法を見つけようとしている。
状態を揃えるのは無理だしな…
宿題を出したら、高校では学力伸びた。中学校では少し伸びた。小学校ではエビデンスはない。みたいな。
ワードがでかすぎる。
”宿題”の内容や、やる子供によっても違いが大きそうだし、何を測るかによっても違いがあるそう。でも、マクロでしか測りようがないからそもそもの的外れ感を感じるのかな。
無意味な宿題は無意味。有意義な宿題もあり得る。有意義にできるかはその人の状況次第。でも、興味が持てないものももちろんある。