議論においては、何かを主張した側に、それを論証する責任がまず課せられる。これが立証責任
「君は、K西の、あの下らない詭弁の本を最後まで読んだのか?」という多問の虚偽に関して K西の本に「下らない」という評価を与え、それを問いの前提としたのは、そもそも相手側なのだ。だから、相手側こそ、K西の本が下らない理由を先に説明する義務(立証責任)がある。したがって、正しい<<retort>>は、「K西の本のどこが下らないのですか?」のような、相手にその当然の義務を負わせるべきものでなくてはならない。そして相手の説明に対し、こちらは好きなだけ反論してやればよい。議論においては、何かを主張した側に、それを論証する責任がまず課せられる。これが立証責任ということだ。相手よりも先に、こちらがその主張の非なることを論証する義務はない。 「君は、K西の、あの下らない詭弁の本を最後まで読んだのか?」と問われたら、決して「私はK西の本が下らないとは思いません」と答えてはならない。
質問の中に暗黙の主張が含まれている場合は、その立証責任を果たしてもらうための質問を返さなければならない。
上の例だと、"あの下らない本"という暗黙の主張が含まれている
会話に「新たな主張」「暗黙な主張」が含まれているかどうか気づける能力大事
表面上の回答やYES or NOだけの返事をしていると、相手が築いた言質の罠にハマってしまうかもしれない
ひろゆき氏の議論の強さ的な要素が少し分かった気がする。
島国大和(@shimaguniyamato)
「ひろゆき論法」なのだけど「相手の否定だけ」「自分の意見は言わない」「意見を言ってないから反論されず負けない」みたいなのって、はたから見るとイキッてるだけに見えるからアレよくないよなぁと思う。
立証責任を負わないように話していけば、負けになりにくい