ノリとは、環境のコードにノッてしまっていることである
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覆いを割く者、ナーセット
from 勉強の哲学 来たるべきバカのために 増補版 (文春文庫) より引用 p26
環境における「こうするもんだ」とは、行為の「目的的・共同的な方向づけ」である。それを、環境の「コード」と呼ぶことにする。
言い直すと、「周りに合わせて生きている」というのは、環境のコードによって目的的に共同化されているという意味です。
(中略)私たちはなんとか生き延びるために、周りに合わせて「しまって」いるものです。
勉強しない人ほど、周りに合わせて生き延びている
例えばコロナウイルスの騒動では買い占めに走ってしまう
環境における「こうするもんだ」が買い占めになっている
ファクトよりも、自分の感情が大事だと思っている
でも、その「自分の感情」というものが環境のコードだったりする
じつは、自分こそが心の中の「報道官」である
勉強とは、自己破壊であるでは、勉強によってノリに乗れなくなる
環境の移動が、自分の頭で考える瞬間
ノリに従わなすぎると、逆支配階層による連合執行に気をつける