生き生きとした
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生命の咆哮の思念
C.アレグザンダーのまちづくりの新しい理論 (SD選書)を読んでると、人間が生き生きとしているかどうかが重要視されているが、この「生き生きとした」ってなんだろう?と考えさせられた
単に生きていることは、生き生きとはしていなさそう
本能のまま生きているというのも、動物的にはそうだが、人間には本能をコントロールするという本能もあってそれを活かしていないので違う気もする
効率よく合理的に生きるってのもなんか違う
定義した人によって、何かしらの方向性は働いていると思う
楽しい、嬉しい、何かしら人類が前に進んでる感覚を感じるものかどうか
進化に働く効果、淘汰への抵抗的な
自分が精一杯頑張ってる感じってのは、自己認識に依存しすぎている気がする
周りからみて、生き生きとした感じなのだろうか
自分たちで生き生きとしたって言うのは、自己欺瞞に感じちゃうんだよなぁ
人が自分をだます理由_自己欺瞞の進化心理学
モブプログラミング は生き生きとした活動に思える
PC上でのコードレビューは何か冷たい感覚を覚える
チャット上での会話も怪しい
家族や子供たちと触れ合うのは、生き生きとした感覚だ
少しずつでも進んでいる、何か目標に向かってプラスになると信じて動いている時
喜怒哀楽をハッキリとだす、情動にあふれている時
プログラミング言語にも、生き生きとしたものと、そうでない感情が湧くものがある
荒々しさ
自然、野性を感じる
田園
自分の頭で考えること
読書について
15の幾何学的特性
ザ・ネイチャー・オブ・オーダー 建築の美学と世界の本質 生命の現象
均質な世界には地獄をもたらして生命を宿らす